市川学園100冊の本の紹介(吉川英治)

吉川英治~「吾以外皆吾師」として、一生涯を大衆に学び続けた作家~

吉武 佳一郎

吉川英治は自分の好きな「吾以外皆吾師(吾れ以外皆吾が師)」の言葉をよく色紙に書きましたが、この言葉の裏には大衆の生き方に学ぶという、「大衆即大智識」の姿勢がありました。彼は大衆の中に育ち、大衆と共に歩み、人生の辛酸を味いながらも大衆文学を構築していきました。また彼の文学が持つ教訓性は、そうした体験からにじみでた人生訓であり、それだけに多くの読者の共感を呼びました。それでいて彼は「三十なお一学生、四十なお人生の一学生、五十まだ学んで足らない」と、自分を「生涯一学生」としてたゆまぬ努力と研鑽を積みました。また吉川文学の魅力は、彼の開明・進取の気質に富む今日的状況感覚とともに、彼の大衆性と教訓性が一つに融合しているところにあります。

英治は幼少時から読書好きで、通学した小学校近くの貸本屋で毎日立ち読みして半年で完読すると、古本屋で帝国文庫の翻訳物・冒険物、近松や西鶴の作品、太平記・西遊記などを購入し数日で読了していました。父の事業の失敗で尋常高等小学校高等科を退学した彼は、一家を支えるために印章店店員や活版工・税務署給仕・雑貨店店員などを転々とする苦しい生活をしていました。このようにどん底生活にあえぎながらも、好学心に富む彼は、印刷工時代に百科事典を50回も読むなど、つらい仕事に屈することなく合間を見て本を読み続け、その体験を血肉にして成長していきました。

船具工の時に重傷を負った英治は上京し、川柳の新聞投稿を機に「大正川柳」同人になるとともに、大正3年、「講談倶楽部」や「少年倶楽部」・「面白倶楽部」に書いた懸賞小説が一等に当選しました。毎夕新聞に入社後の大正10年、社長命令で『親鸞記』を書いたのを機に作家吉川英治が誕生し、「キング」や「面白倶楽部」などに連載小説を書きはじめ、関東大震災を機に文筆家になる決意を固め,講談社系の雑誌に18の筆名を使って時代物から新作落語まで執筆しました。

こうして流行作家となった英治が最初に見せた飛躍は『鳴門秘帖』で、この作品は少しの史実にさまざまな人物を関連させて活躍させる壮大な虚構世界を構築し、大衆文学の確立を示すものとなりました。また『檜山兄弟』頃から社会的な背景を歴史的に明確にして物語の展開にリアリティをもたせるようになり、また『宮本武蔵』では、虚構の要素が少なくなり、作風が大きく変化していきました。一大ベストセラー『宮本武蔵』の誕生の契機は、菊池寛と直木三十五が「武蔵=名人・非名人」論争で菊池に幾分加担した英治が、直木から論戦を挑まれ、「僕は作家だから小説を書く」と言って執筆したことによりました。その後、『太閤記』『三国志』など執筆の間に新聞特派員として中国戦線を視察・従軍し、太平洋戦争初期には南方諸地域を一巡しました。

敗戦後しばらく筆を断った後、英治は執筆を再開して昭和25年から7年間かけて『新・平家物語』をまとめました。この小説は源平興亡の歴史を素材に、同時代史的な視野に立ち、栄枯盛衰する人間それぞれの歩みを追いながら歴史のドラマに迫った国民文学的構想をもつ歴史叙事詩で、その裏には15年戦争を経てきた彼の平和への思いが秘められており、歴史と現代を合わせ鏡としてとらえる英治の歴史文学の特色が読み取れます。昭和28年に菊池寛賞、昭和30年に朝日文化賞、昭和35年に文化勲章、昭和37年に毎日芸術大賞を、それぞれ与えられ、『私本太平記』を完結した翌昭和37年、肺癌で亡くなりました。

「歴史とは、つねに今日の事である」とした英治の歴史観は、過去と現在の合せ鏡で歴史の問題を今日の事象に照らして考え、現在起りつつある事柄を解く鍵を歴史に学ぶといったきわめて特長的なものでした。『私本太平記』の魅力は、足利尊氏をはじめとして多くの魅力的人間像を描出し、興味ある人物を配して時代の流れを多角的にとらえ、歴史の流れをダイナミックに追うところにありました。吉川文学は波潤万丈と伝奇的描写に満ち、求道的な性格は一貫していますが、題材とそのテーマには、それぞれの時期の国民的関心につながり、多彩な作品像を形成しています。しかし『宮本武蔵』『新・平家物語』に見られるように、人間の生涯やその歴史的背景に眼をそそいだ時、人間性に根ざした一種の達観が生れ、『新・平家物語』『私本太平記』には、戦乱の時代を貫く愛憎の諸相が語られ、全作品を通じて母の愛がさまざまなかたちで強調されています。このように吉川文学は、彼の生涯そのものの起伏とそこで培われた人生観、処世観の表現であったといえます。

【参考文献】
新潮日本文学アルバム『吉川英治』(新潮社)、日本近代文学館・小田切進編『日本近代文学大辞典 第三巻』(講談社)、朝倉治彦・三浦一郎編『世界逸話大辞典』(角川書店)など

【センター所蔵・吉川英治の本】
伝記:『新潮日本文学アルバム 吉川英治』/『父 吉川英治』吉川英明著/作家の自伝104 全て分類910.28
作品:『 三国志 』『私太平記 』『 新書太閤記 』『 鳴門秘帖 』『 宮本武蔵 』『 新平家物語 』分類 小F*他 多数

市川学園  100冊の本:中学<ジャンル:日本文学> 

吉川英治著 『三国志』 講談社新書

三国とは黄河流域の魏、揚子江流域の呉、四川の蜀で、この三国を建てた曹操・孫権・劉備の生涯と建国、その周囲の群雄による治乱興亡の物語が『三国志』です。 『三国志』の舞台は、中国の後漢時代の霊帝の頃からその滅亡まで(168~220)と、三国時代(220~265)です。吉川「三国志」はその中で、黄巾の乱から諸葛亮(孔明)の死(234)までが中心で、それ以後は詳しく書かれていません。 吉川『三国志』は「事実7、虚構3」と言われている『三国志演義』の内容を元に書かれているため、登場人物はほぼ実在の人物で、吉川英治の詩情によって、数多くの登場人物が非常に魅力的に描かれています。吉川『三国志』の前半は蜀の劉備が主人公で、 劉備が関羽・張飛と義兄弟の契りを結ぶ「桃園結義」に始まり、軍師諸葛亮を迎える「三顧の礼」、孫権と同盟して曹操を破る「赤壁の戦い」、入蜀するも次々兄弟を失い自身も死を迎える「白帝」、そこから主役は諸葛亮に代わり、孟獲を「七縦七擒」し、「出師の表」で征魏の兵を出し、「泣いて馬謖を斬り」、五丈原で「死せる孔明生ける仲達を走らす」という筋書きです。とにもかくにも、吉川『三国志』は躍動感に溢れ、いわば「かっぱえびせん」のごとく、読み進めたら楽しくて止められない本です。         

[追伸]今回、吉川英治を紹介した理由は、①彼が第三教育の達人であるだけでなく、②「市川学園100冊の本」で吉川英治『三国志』(講談社文庫)が毎年もっとも読まれていること、③創設者古賀米吉先生も現理事長・校長の古賀正一先生も、吉川英治の「吾(我)以外、皆吾(我)師」という言葉をよく愛用されていることにあります。