市川学園100冊の本の紹介(キング牧師)

キング牧師 ~人間愛に満ちた社会の実現をめざし、志半ばで凶弾にたおれた公民権運動の指導者~  

吉武 佳一郎

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(後のキング牧師)は、1929年、ジョージア州アトランタ市に生まれた。小学校入学の際、白人の友人に付き合いを拒否されて人種差別を初体験した。15歳でモアハウス大学に入学。1951年、クローザー神学校を首席で卒業し、1955年、ボストン大学神学部の博士号を取得した。1953年にコレッタ・スコットと結婚し、翌年、アラバマ州モンゴメリーのバプテスト教会牧師に就任した。

リンカーンの奴隷解放宣言でアフリカ系アメリカ人は奴隷の楔からは脱していたが、奴隷制廃止は人種差別の撤廃と直結せず、学校やトイレ、プール、バスなどに人種隔離が残されていた。1955年、ローザ・パークス逮捕事件が起こると、バスのボイコットを呼びかけ、モンゴメリー改善協会(MIA)を結成した。ガンディーの不服従思想の影響を受けていたキングは、キリスト教の愛にもとづく非暴力の原則をはじめて表明した。バス・ボイコット運動は成功して座席の分離はなくなり、市の公共交通機関での人種差別は廃止された。数日後、自宅を爆破されたキングが「汝の敵を愛せよ」と演説すると全米の注目を集め、公民権運動指導者としての地位を確立した。1960年、白人席と黒人席を分離している軽食堂に抗議する座り込み運動がグリーンズボロで始り、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、テネシー州、ヴァージニア州の50都市に波及した。この時キングは学生非暴力調整委員会(SNCC)を組織した。座り込み運動は勝利し、南部27都市で軽食堂の人種分離が廃止された。ついで新しい連邦法が守られているかをテストする自由のための乗車運動を始めたが、それを妨害しようと白人たちはバス転覆や焼き打ちなどの暴力をふるった。しかし、世論の力で諸州にまたがる交通機関内とその停車場内での人種差別を禁止する法律を施行させた。

1961年、ジョージア州オルバニーでの差別をめぐる黒人と警官との衝突事件で、キングは「悔い改めの日」を持つことを呼びかけたが、キング自身も投獄・処罰された。オルバニー周辺で大規模な選挙登録運動が行われたが、教会に爆弾がしかけられたり、黒人たちが脅迫や襲撃を受けた。キングたちは徹夜の祈りでこれに対応した。1964年、連邦公民権法案が議会を通過し、オルバニーの公共施設での人種差別は撤廃された。1963年からアラバマ州バーミンガムでピケや座り込み運動が始まり、キングは逮捕された。学校での人種分離に抗議した学童6000人がデモに参加し、959人が逮捕された。警察は学童に放水したり、警察犬をけしかけるなどの妨害を行った。市当局と合意が成立したが、クー・クラックス・クラン(KKK)の爆弾事件に怒った黒人たちが暴動を起こしたため、州兵が出動して非常事態宣言が出された。また、白人の差別主義者が学校での人種統合法の実施を拒否したため、激しい暴動が起こり、幼女4人が死亡する最悪の事態となった。

奴隷解放100周年に当たる1963年は、公民権運動にとって重大な年となった。4月にはアラバマ州バーミンガムで差別撤廃の大規模なデモが行なわれた。6月には12万5000の人々が、デトロイトへ「自由の行進」を行った。8月にはワシントン行進が行われ、キングは、首都ワシントンのリンカーン記念堂前で白人6万人を含む25万人を集めて”I Have a Dream”「私には夢がある」で始まり、「自由の鐘を打ち鳴らそう」で結ばれる有名な演説を行った。人種差別の撤廃と各人種の協和という高い理想を簡潔な文体と平易な言葉で訴え、広く共感を呼んだ。「かつての奴隷の子孫と奴隷主の子孫が共に兄弟愛のテーブルに着くことができ」「私の小さな4人の子供が肌の色によってではなく、人間の中身によって評価される国に住めるようになる」という夢は、黒人だけではなく白人にも向けたものだった。その内容は高く評価され、1960年のジョン・F・ケネディ大統領就任演説と並び、20世紀のアメリカを代表する名演説として有名である。さらに、この年タイム誌の「マン・オヴ・ザ・イヤー」にも選ばれた。なお、公民権運動に対する多大な貢献が評価されキングは35歳で1964年度のノーベル平和賞を授与された。これは史上最年少記録で、黒人3人目の受賞であった。キングを先頭とする地道で積極的な公民権運動の結果、国内の世論も盛り上がりを見せ、この年、ジョンソン政権で公民権法が施行され、建国以来200年近くアメリカで施行されてきた公共の場での人種隔離はなくなった。

60年代後半になると、ヴェトナム戦争反対や中国の国連加入支持が原因となって、キングは政府と対立するようになり、また、マルコム・Xやカーマイケルなどの他の公民権運動指導者が改革実現を目指して強硬な手段をとるようになると、平和主義と非暴力に固執するキングへの批判が高まった。1968年1月、キングをはじめとする反戦指導者は、2月5・6日にワシントンで大集会を開くことを呼びかけた。そして、「貧者の行進」が4月22日にワシントンに集結する予定だと発表された。1968年4月4日、テネシー州メンフィスの黒人清掃労働者のストライキ支援のための遊説後、キングはテネシー州メンフィスのメイソン・テンプルで白人男性の銃弾で暗殺された。彼の死を知って激怒した黒人は全米168都市で暴動を起こし、死者46人、負傷者2万1000人、逮捕者2600人をだした。非暴力戦術の創始者キングの死が、アメリカ史上最悪の暴動を引き起こしてしまった。彼の遺体はアトランタの墓地に埋葬されたが、墓碑銘にはワシントン大行進の演説「とうとう自由になった。全能なる神よ、とうとう自由になった」が刻まれている。1983年、キングの栄誉を称え、かれの誕生日(1月15日)に近い1月の第3月曜日が「M・L・キング・デー」として祝日になった。アメリカで国民祝日なった故人は他にコロンブスとジョージ・ワシントンの2人だけである。

【センター所蔵・キング牧師の本】
M.L.キング『自由への大いなる歩み』(岩波新書) 316-キ
M.L.キング『黒人はなぜ待てないか』(みすず書房) 316-キ
小西慶太『白と黒のアメリカ~キング牧師の闘争と夢の記録~』(メディアファクトリー)B・3-キ
上坂 昇『キング牧師とマルコムX』(講談社現代新書) 253-63316
コレッタ・スコット・キング『キング牧師の言葉』(日本基督教団出版局) B・3-キ

市川学園100冊の本 < 中学  ジャンル:思想・哲学・心理 >

岩波ジュニア新書 「キング牧師 人種の平等と人間愛を求めて」 辻内鏡人・中条 献 著

人間愛に満ちた社会の実現をめざし,39年の生涯を燃焼した。その足跡をたどるドキュメンタリーであり、もう一方のテーマは、黒人の公民権獲得の運動の歴史が分かりやすく説かれている。1863年、南北戦争のさなかリンカーン大統領による「奴隷解放宣言」がなされ、黒人は奴隷制度から法的な面では開放されることになったが、住宅、雇用をはじめ、特に南部諸州では、教育、選挙、食堂、公共のバスなどでは州法で実質的に白人優先が決められていた。黒人へのすべての差別をなくするための法律(黒人も平等の権利を有する=公民権)成立までの、白人グループなどによる妨害行為と、黒人差別の実態は、いまでは想像できない。

「わたしには夢がある.(I HAVE DREAM)それは,いつの日か,かつての奴隷の息子と,奴隷所有者の息子が,兄弟として同じテーブルに腰をおろすことだ」

キング牧師は、26歳からつねに非暴力抵抗運動の先頭に立って闘い、アメリカ公民権運動の父と呼ばれている公民権運動の指導者であったが、39歳(1968)で凶弾に倒れた。1963年夏、首都ワシントンで「FREEDOM NOW!(いまこそ自由を)」をスローガンに、公民権法の実現を目指す「ワシントン大行進」があった。史上最大の20万人が参加し、歴史的な大行進となったその集会でのスピーチは、故ケネディ大統領の就任スピーチと並び歴史的な名スピーチとまで言われている。また、この年の11月は故ケネディ大統領が暗殺された年でもある。