市川学園100冊の本の紹介(金子みすゞ)

金子みすゞ ~大正末期から昭和初期に彗星のごとく現れた(あらわれた)薄幸(はっこう)の童謡詩人~

                                                       吉武 佳一郎

 金子みすゞは、明治36(1903)年4月11日、山口県大津郡仙崎村(現長門市)金子庄之助・ミチの長女として生れた。本名はテル。明治38年、父庄之助は上山文英堂書店の清国営口支店長として中国に渡ったが、翌年、死去した。明治40年、 弟の正祐が下関の上山文英堂書店店主上山松蔵の養子となる。大正5年、郡立深川高等女学校(現・山口県立大津高等学校)に入学し、毎年、校友誌『ミサオ』に文章を寄せている。みすゞは、在校生総代や卒業生総代として答辞を読むなど成績は優秀で、誰にも優しく、何よりも読書好きな少女だった。大正8年(1919)に母ミチが上山松蔵と再婚し、金子家は祖母と兄の3人家族となったが、大正12年、母のもとに移り住み、下関の上山文英堂書店支店で働き始める。この頃から「みすゞ」のペンネームで雑誌に童謡を投稿し始め、投稿した全作品が、雑誌<『童話』(「お魚」と「打出の小槌」)・『婦人倶楽部』(「芝居小屋」)・『金の星』(「八百屋のお鳩」)・『婦人画報』(「おとむらい」)>に掲載されるという鮮烈なデビューを飾った。『童話』の選者西條八十に「若い童謡詩人の中の巨星」・「英国のロゼッティ女史の再来」と激賞され、みすゞは投稿詩人たちの憧れの人となった。

 大正15年2月、宮本啓喜と結婚し、娘を1人もうけた。『童話』4月号で「露」が特別募集第一席となり、童謡詩人会編『日本童謡集』には、北原白秋・西条八十・野口雨情・竹下夢二らと並んで、みすゞの「お魚」と「大漁」が掲載された。昭和3 (1928) 年、『燈台』に「日の光」、『愛謡』に「七夕のころ」を発表し、詩人としての今後を大いに期待されていたが、この頃、夫から創作と投稿仲間へ手紙を書くことを禁じられ、これ以後、作品は発表されていない。しかし彼女は、詩作を禁じられてからも、わが子が話す言葉を丹念に『南京玉』に書き留めて、言葉の持つ神秘さや奥深さに感動していた。昭和4年、みすゞは、三冊の手帳に遺稿集を正、副の二部清書し、それぞれを西條八十と実弟雅輔に送って託していた。

 一方、夫に花柳病(性病)を感染させられ合併症で不治の病になって絶望したみすゞは、昭和5年離婚を決意するが、夫が離婚の合意条件として愛娘の親権を強硬に要求したため、最愛の娘ふさを奪われないために自死の道を選び、同年3月10日、娘を母に託して上山文英堂書店内で睡眠薬による服毒自殺をした。

 金子みすゞの詩は長らく忘れられていたが、没後50年後にみすゞの詩の遺稿集を再び蘇ることになった児童文学者矢崎節夫が大学1年の時、岩波文庫『日本童謡集』に載ったただ一編の詩『大漁』に出会って強い衝撃を受け、以後、みすゞの詩を求めた彼の旅が始まった。その熱意がかなって、大正末期から26歳の若さでこの世を去るまでに、みすゞが綴った512編もの詩が実弟のもとに保管されていることがわかった。こうして、『金子みすゞ全集』全3巻(JULA出版局)が刊行されるに至ったである。

 『金子みすゞ全集』は、1982年に出版されるや、日本児童文学会特別賞を受賞して瞬く間に有名になった。今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになっている。代表作には『鯨墓』・『わたしと小鳥とすずと』・『土』・『大漁』などがあり、童謡絵本『ほしとたんぽぽ』もある。現在では代表作「わたしと小鳥とすずと」が小学校の国語教科書に採用されている。

 仙崎は古くから捕鯨で成り立っていた漁村で鯨の供養ために鯨墓があり、鯨法会(ほうえ)をする慣(なら)わしもあった。みすゞはこれに感銘して『鯨墓』を書いたが、この『鯨墓』は慈しみを主題とする金子みすゞの詩集の原点となり、後の『大漁』などに繋がった。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちにも大切なメッセージを伝え続けている。

 みすゞの詩は作曲を想定して作られたものではなかったが、中田喜直・吉岡しげ美・李政美・沢知恵・西村直記・大西進などの作曲家や歌手によって、童謡・歌曲・合唱曲に作曲されている。2006年、アルバム『日本を歌う』に所載された作曲杉本竜一・歌新垣勉によるみすゞ作詞の「わたしと小鳥と鈴と」は、NHK「みんなのうた」でも放送された。また、ピアニスト・作曲家の小原孝は、2006年、第17回奏楽堂日本歌曲コンクールで「こぶとり~おはなしのうた1~」が中田喜直賞を受賞したのを機会に「おはなしのうた」連作5編に全てを作曲している。

【コメント】
金子みすゞの詩『私と小鳥と鈴と』のみんなちがって、みんないいのフレーズは、子供たち一人ひとりをかけがえのない存在とする人間観で、まさに教育の原点といえる精神です。それは、スマップの歌世界に一つだけの花(作詞・作曲・槇原敬之)や、市川学園の学校方針の一つ、人間は誰でも皆違う特色を持ち、一人一人かけがえの無い人生をもつという独自無双の人間観(古賀米吉『楽しい学園生活』)とも共通する精神です。

【参考文献】
『新装版 金子みすゞ全集』全3巻(JULA出版局)、矢崎節夫『金子みすゞの生涯』(JULA出版局)、矢崎節夫他『金子みすゞのこころ』(校正出版局)所収の金子みすゞ年譜など。

【センター所蔵の「金子みすゞ」関連の本】
矢崎節夫選『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』(JULA出版局)909-カ
矢崎節夫選『金子みすゞ童謡集 明るいほうへ』(JULA出版局)909-カ

市川学園100冊の本:中学<ジャンル:日本文学> [担当=中田 真人]

岩波文庫ほか 「 友情 」 武者小路 実篤著 小F-ム、F-ム

「友情と恋愛」という、青春時代の心のメインテーマがとりあげられている。真実をもとめてやまない、ひたむきな情熱。絶望と挫折にあいながらも、高い志と理想を持ち続ける真摯な魂。尊敬しあった二人の友人が、一人の美しい女性をめぐって、固い友情の絆の中で、葛藤するさまが描かれており、身につまされるようで、読む人に深い感動を与える。約90年前の出版以来、読み継がれた古典といえる作品です。

「…‥恋は画家で、相手は画布(キャンバス)だ。恋する者の天才の如何(いかん)が画布の上に現れるのだ」 

皆自分の内に夢中になる性質を持っていて、天使と思われる相手であっても、他人(ひと)から観たらただの人であるかも知れない。恋は盲目と言われるのは、相手を自分の都合の良いように見過ぎることだと主人公に言わせている。男も女もそんなに融通の効かないものでもない、とも…。

深く強い友情を信じる友人・大宮の大きな決断は、主人公・野島へ劇的な衝撃を与え 二人の友人の壊滅的な破局へと展開するが、決して絶望に終わることはない。友情と愛情と言うテーマを考えるきっかけとなる、良書です。          

武者小路 実篤(むしゃのこうじさねあつ) 略歴 

1885年5月12日~1976年4月9日 公家の家系である武者小路家に生まれた。子供時代は作文が苦手であった。1906年に東京帝国大学哲学科に入学。1910年には志賀直哉、有島武郎、有島生馬らと文学雑誌『白樺』を創刊。これにちなんで白樺派と呼ばれた。トルストイに傾倒し、白樺派の思想的な支柱であった。理想主義的な「新しき村」運動にもたずさわった。1951年に文化勲章受章。

代表作=『お目出たき人』『その妹』・『友情』・『幸福者』・『人間万歳』・『或る男』・『真理先生』