第4回 Aグループ「古代哲学の成熟」

ライター:渋谷陽一先生

第1セッション  プラトン『クリトン』

a1モデレーターから、ソクラテス自身は自らの思想や行動についての書籍を著しておらず、弟子によってテキスト化さている点でソクラテス自身の思想のみならず、弟子の視点もテキストに介在しているとの留意点が述べられた。また、時代背景や現代と異なる裁判の形式などについて若干の説明がなされた後、対話が始まった。

前半は「意見の尊重」について、有益な意見とは何なのか、思慮ある人とはどのような人なのかについて、各人の見解が述べられた。知識の有無や多寡によって意見の内容の是非が判断される点に対話者の多くが違和感を抱いていることが確認された後、そもそもこの違和感が、ソクラテスの用いている反駁的な対話という、相手の同意を前提として論を展開する方法への違和感なのではないかという指摘がなされた。

中盤は、ソクラテスが正しいことを伝えるという使命を実行したにもかかわらず有罪に処せられた点について、なぜソクラテスが思慮なき人々による判決を粛々と受け入れたのかについて対話がなされた。「正しい」や「正義」とされるものが何なのかの対話が進むなかで、個人が正しいと思うことを個人のレベルでとどめていては不十分であり、他者に対しての「同意」が重要ではないかという話になった。

a4後半は、「同意」という行為と国家・国法との関係性に対話の焦点が移動した。行動を起こして表明しないというその行為こそが同意を意味するのであり、クリトンが説得に訪れたテキストの場面において、行動を起こして来なかったという点で国家に同意しているのであり、国法を受け入れるのが妥当だとソクラテスは結論付けたのであろうという発言がなされた。その国家に生まれた以上、国家の運営法に異論があるのであれば自らの意見を表明して同意を求め、異論がなければ国家に従う、すなわち国法に従うというソクラテスの姿からは、時代状況か異なるとはいえ、国家とは何か、民主主義とは何かを考えさせられるという発言が印象的であった。この点ついてはリソースパーソンからも、ソクラテスの言う「よく生きる」と何かについても連動する興味深いポイントであるとの指摘があった。

第2セッション  荘子『荘子』

a2モデレーターから、『荘子』が老荘思想の一翼を担う書物であること、今回テキストとして収録されている箇所が荘子思想の中核をなす点が指摘され、対話に移った。

「内編」斉物論における「混沌七竅に死す」については、混沌や南海の帝、北海の帝といった寓話が何を象徴するのかについて対話者の多様な読みが共有された。例えば、混沌に穴を開けるという行為が自然への人為の介入を意味しているのではないか、七穴は感覚のことであり、視覚や聴覚などを備えたことによって認識を得たことによって、もはや混沌状態ではなくなったことを意味しているのではないか等の発言があった。

「内編」応帝王編における「胡蝶の夢」では、本質は異なるけれどもそれが条件によって同じようになる・見えるとする読みと、本質は同じであるけれども条件によって異なるようになる・見えるとする読みが発話され、後者の場合はその本質こそが斉物論に述べられる混沌であり、認識次第で蝶なのか荘周なのかが異なるという意見も出た。

「外編」秋水編では粗大と精微に関心が集中し、大小への言及では、人間と自然、宇宙の有り様など、対話者それぞれの事例が述べられた。そこから対話は言語論へと展開し、言語によって対象が把握できる反面、言語が固定観念をもたらし、広い視野が持てなくなってしまっているのではないかという発言がなされ、しばし対話が続いた。a3

最後に、荘子の主張する無為自然について、そもそも人間が自然の一部であるのであれば、人間の人為もまた自然なものなのではないかという発話がなされ、リソースパーソンから、その点について「意図」がキーワードになるのではないかとの指摘があった。また、リソースパーソンからは、現代が西洋文化の恩恵のうえに成り立つ反面、さまざまな問題も抱えている以上、自然であれという荘子の発想はきわめて示唆的ではないかとのコメントが付され、対話は終了した。