第2回〈本源〉への遡上

ライター:Aグループ 山田勝幸先生、Bグループ 山田一彰先生

第1セッション  アリストテレス『形而上学』

☆Aグループ

比較的短い素材を用いた本対話は、現代的用法とは異なる含意を有する文中の各キーワードの解釈をめぐって進められた。まずは「経験」について。未経験の場合、判断を運に任せること(「偶運」)になるが、経験があれば確実な判断が下せる。動物と異なり人間は、抽象的、高次元の判断を経て学び、学問や技術を習得することができる。モデレーターからの「技術」とは?という問いかけに対しては、technicではなくtheory(理論)のことだ、数学でも、公式やパターンを覚えれば(基本的な)問題は解けるが、思考過程や理由を理解しないと応用が効かない、個々の特殊性より普遍性を重視すべきだ、などの意見が出された。

次に、「娯楽的な術の発明者の方が、より知恵がある」のはなぜかという問を契機として、現代でも実用的でない数学や雑学は一目置かれているが、逆に基礎研究軽視の風潮もある、今『形而上学』を読んでいること自体が娯楽だ。動物と違い人間は、生きるために直接必要ないことも深く追求し、娯楽に発展させ、理論や学問にまで昇華する、という言葉が交わされた。

対話の中で、「経験」とは世代を超えて活かせるもの、「技術家」は人に理論を教えられる、「学問」とは持っている知識を目に見える形で人に伝えることだ、など「複数人で共有」という視点が提示されるにつれ、対話の重心は徐々に上位概念へとシフトしていった。リソースパーソンからのアドバイスのもと、「知恵」と「学問」が定義づけされている箇所を文中から探す。その流れの中で、感覚により物事を知ることが経験でその原因を知ることが知恵だ、物事の因果の本源をどこまでも遡ることが形而上学だ、それは人間は生まれながらにして知ることを欲する、つまり理性があるからだ、原因を無視して生きる方が楽に思えるが、実は原因を知ろうとする方が賢い、などの解釈が提示されて対話は終了した。201702①

最後にリソースパーソンから、アリストテレスが他で提示した概念、「制作」「実践」「観照」との対応関係が紹介された。また対話中の「著者は視覚を重視している」という指摘に対して、オルテガ、デカルトの著作にも同様の記述があり、複数のテキストに跨って流れる通奏低音に耳を傾けることもまたアカデメイアの醍醐味(「娯楽」)の一つであるという助言があった。

☆Bグループ

第1セッションはアリストテレスの『形而上学』である。Bグループの対話は、「経験」と「技術」とは何かということから対話がスタートした。アリストテレスは、「経験」を個々の事柄についての知識であり、「技術」を普遍についてのものであるとし、経験家よりも理論家の方がより多くの知恵を有するものであると述べる。対話はこの部分を踏まえ、現代のスポーツに話を置き換え、コーチが「技術家」であり選手は「経験家」であるということから、古典が現代にも通ずるところがあるという指摘がされる。

201702②次に、数学的な技術は暇な生活をする余裕が生まれたからおこったという話題から、アリストテレスのいう「暇」とは今現代の人間が考えている「暇」とは少し定義が違うのではないかということや、人間と動物の違いとは何かといことに触れながら、対話は、「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。」という部分に焦点があたる。ここでの「知る」とは一体なんなのかという問いから、「知る」とは物事の原因や原理を考えていくことであり、「知恵」とは第一の原因や原理を対象とするものであることがわかり、「形而上学」が今の学問体系の基礎となっていることが対話の中で明らかになっていった。ここからAIが発達している現代では、技術が大切なのではないかとうい指摘もされた。

最後にモデレーター・リソースパーソンより、普遍的なものが定義づけられた先に我々はなにを考えていくのか、ということや、万有引力の法則を例にとりながら、普遍的なものを導き出すことの難しさ、アリストテレスが今読み直されている理由は何かという、サジェスチョンで対話は終了した。

 第2セッション  ルソー『人間不平等起源論』

☆Aグループ201702③

まずは第一部の「結論」をめぐって意見が交わされた。まず環境があって、その後能力の高低が決まる。抑圧自体が社会状態の産物で、自然状態ではそもそも個人という存在が無意味であり、そこでは能力は比較できない、だから平等。ルソーは当時の文明社会を浮き彫りにするために野生人という概念を対置させたのでは?対話者たちは次々と、ルソーの言葉の背後に隠れた因果関係を自分の言葉で表現していった。野生人は個としての自分を意識していないので、比較、評価されようとも思わないから、虚栄心がない。制度がなければ格差も見えない。「教養」とアリストテレスの「知恵」は似ているが、自然状態では理性的発想も発達しないのでは?ここで、ルソーの問題意識は、野生状態=野蛮という認識は間違えで、多くの人のイメージする「自然の状態」は実はアポステオリなものだ、というところにあるという意見が出る。それに対してモデレーターから、ルソーの言う誤謬から喚起されるのは「万人の万人に対する闘争」(ホッブス)だ、という指摘があった。

続く第二部の対話では、隷属の鎖を根源まで遡っていけば、不平等状態の作り出される過程が見えてくるのでは?という第一部の対話で出された問いに、答えていくこととなる。大地に種を播くという予見の能力が文明の始まり。小麦と鉄の相互依存関係から始まり、均衡を維持するものがないから、必然的に序列、階層化が起こり、不平等が固定された。最初は一致していた利害関係にズレが生じて、土地の所有の意識が起こり、私有権とその争いにつながった。「弱い者に軛を与えた」→「自分をつなぐ鎖を作った」と、文中の言い換えを追っていくと、最終的に政治や法に辿り着く。ルールとは不平等を固定するものだ。以上のような意見が出され、最後までテキストに沿った活発な対話が繰り広げられた。中には、火山の近くで偶然鉄器を使った最初の人がいたという設定に無理がある、とルソーの描くストーリーへの違和感を表明した人や、ルソーの私有権批判と共産主義の親和性を指摘した人もいた。

リソースパーソンから、テキスト最後の国家間の自然状態に関する記述とその後実際に起きた戦争の関連性について解説があった。また「金持ちと貧乏人の相互依存はなぜ助け合いでなく隷属なのか?」、「外面だけを装う文明社会へのルソーの憤りが感じられる」という第2部で出された意見に関連して、モデレーターからは、前回のオルテガ、フロムとつなげて連続テレビ小説のように読んでみようというアドバイスがあった。最後に、ルソーは法や正義をなくせばいい、自然に帰れと言っているわけではなく、『社会契約論』で社会をリセットして自然状態に近づけるための思考枠組を準備しようとしている、というサジェスチョンでセッションは終了。

☆Bグループ

第2セッションはルソーの『人間不平等起源論』である。Bグループでは、初めにルソーの教育観や前回のテキストで扱ったE・フロム『自由からの逃走』に話を絡めながら〈鎖〉という表現についての対話がされた。

次に「所有権」や「私有財産」から文明が興るが、不平等を作り上げてしまったネガティブな面もあるという指摘から、人間の不平等は原初状態の「野生人」の頃にはなく人間が作り上げていったものであるということに話が展開した。また、法により力による簒奪にすぎないものが、正義に書き換えられるという鋭い指摘もあった。

201702④ここから話題は「戦争」ということに移っていく。野生人はもともと個人で生きていたので利害対立は生まれなかった、しかし、次第に貧富の差が生まれることにより豊かな人間が自分たちの富を守るために社会契約説を唱え始める、そこで社会の中の争いは安定するが、国家間は自然状態に陥っているのだ。という話から国家間にも貧富の差が生まれそれが戦争の原因となるという指摘や世界市民にその解決が託されている、世界市民とは一体誰の事を指すのか?という様々な戦争に関する対話が行われた。

最後にモデレーター・リソースパーソンより、土地の所有の起源はどこにあるのか?という問いかけがされた。それに対して、月の土地が今インターネット上で売買されていることが話題に上り、その土地の「所有権」というものは一体何が根拠となるのか、そもそも夢を買っているのか土地を買っているのかどっちなのだろうか?という話題で対話が終了した。