~ Why don’t we have a dialogue? ~対話を終えて ~感想集より~
第3回 ヘブライズムとヘレニズム(2025年9月5日開催)
第1セッション 旧約聖書『イザヤ書』
Aグループ
・ある一つの「詩」として読むことで特定の宗教観から離れた解釈を知れた。代理贖罪を請け負う「僕」がどのような理由で定められたのか気になるとともに、キリスト教的な見方では僕をキリストと解釈できると聞きとても面白く感じた。53章12節「それゆえ、わたしは、多くの者たちを彼に分け与え、そして強い者たちを彼は分捕り物としてわかちとるだろう」における「多くの者たち」「強い者たち」の表現が何を指しているのか、という疑問が残った。
・私がアカデメイアに参加したいと思ったきっかけの1つが「旧約聖書を読んでみたい」という興味だったので、すごく有意義な時間でした。最初一読したときは何が何だか分からなかったのですが、註をじっくり読むとイザヤ書のストーリーがだんだん見えてきて、物語性がとても面白かったです。特に53章が面白いと感じました。「ヤハウェは彼に執り成しをさせた」という一文について、ヤハウェはバビロン捕囚で苦しんでいた多くの人たちを解放するため「僕」に罪を負わせたのだということが対話を通して分かっていって「僕」は顔かたちが悪く、蔑まれてきたと表現されていて奥が深いと思いました。
・私がアカデメイアに参加したいと思ったきっかけの1つが「旧約聖書を読んでみたい」という興味だったので、すごく有意義な時間でした。最初一読したときは何が何だか分からなかったのですが、註をじっくり読むとイザヤ書のストーリーがだんだん見えてきて、物語性がとても面白かったです。特に53章が面白いと感じました。「ヤハウェは彼に執り成しをさせた」という一文について、ヤハウェはバビロン捕囚で苦しんでいた多くの人たちを解放するため「僕」に罪を負わせたのだということが対話を通して分かっていって「僕」は顔かたちが悪く、蔑まれてきたと表現されていて奥が深いと思いました。
Bグループ
・ユダヤ教とキリスト教の観点から僕が誰かという議論で分かれ、どちらかに仮定したときのその後に続く文の解釈が変わっていったのが個人的にはおもしろかった。「人間を捧げ物とすることがどうなのか」という議論において、命は天からの授かり物で死んだら天に戻るとされていたので、死は一種の喜びだったのではという意見が興味深かった。
・なぜ旧約聖書、ヤハウェは人を過酷な公義によって殺すことを条件にしたのか。そこまでしないと恵みを与えないという考えに至ったのか気になる。そしてそもそも、宗教は求められていたのか。やりきれない苦難にストーリーづけしたい気持ちは非常に共感できるが、どこかイスラエルの民はヤハウェを求めるよりは離れつつあるのではないかと文章から少し感じた。すなわちイザヤ書は、何とか人をヤハウェにつなぎとめようとしている必死さのニュアンスが少しあると思う。新約聖書との対比も調べてみたい。キリスト教が広まったのは違う時代であるから、延長上の話だったとしても、異なる記録がされていそうだ。
・なぜ旧約聖書、ヤハウェは人を過酷な公義によって殺すことを条件にしたのか。そこまでしないと恵みを与えないという考えに至ったのか気になる。そしてそもそも、宗教は求められていたのか。やりきれない苦難にストーリーづけしたい気持ちは非常に共感できるが、どこかイスラエルの民はヤハウェを求めるよりは離れつつあるのではないかと文章から少し感じた。すなわちイザヤ書は、何とか人をヤハウェにつなぎとめようとしている必死さのニュアンスが少しあると思う。新約聖書との対比も調べてみたい。キリスト教が広まったのは違う時代であるから、延長上の話だったとしても、異なる記録がされていそうだ。
第2セッション プラトン『クリトン』
Aグループ
・『ソクラテスの弁明』での必死に人々を説得しようとするソクラテスの態度からうって変わって淡々と死刑を受け入れることをクリトンに説明していることに驚いた。しかし読み進め、対話をする中で、ソクラテスの”よく生きる”という指針が鮮明に理解できた。法というものを大事にするソクラテスにとって、脱獄という行為は、国を混乱させてしまうというのもあるけれど、第一に自らの生き方を否定することであり、それだけはしたくない。そしてその考えを親友であるクリトンにも分かってほしいという切実な思いが伝わってきた。
・『ソクラテスの弁明』を読んだ後の『クリトン』の対話だったため、他のテキストに比べてより深く理解できた。主役であるソクラテスは以前アカデメイアで扱ったデカルトなどと似て、とても論理的な人物であると改めで感じた。僕自身物事を論理的に考えることが好きなのだが、ソクラテスのように自分の命を捨ててまで自分の正義や論理を貫くことができるとは到底思えないので、とても驚かされた。今回の『ソクラテスの弁明』や『クリトン』が登場したソクラテスの問答法や『方法序説』で登場したデカルトの演繹法など、様々な思考方法が増えていくのが楽しい。
・『ソクラテスの弁明』を読んだ後の『クリトン』の対話だったため、他のテキストに比べてより深く理解できた。主役であるソクラテスは以前アカデメイアで扱ったデカルトなどと似て、とても論理的な人物であると改めで感じた。僕自身物事を論理的に考えることが好きなのだが、ソクラテスのように自分の命を捨ててまで自分の正義や論理を貫くことができるとは到底思えないので、とても驚かされた。今回の『ソクラテスの弁明』や『クリトン』が登場したソクラテスの問答法や『方法序説』で登場したデカルトの演繹法など、様々な思考方法が増えていくのが楽しい。
Bグループ
・前提として『ソクラテスの弁明』を読んでいることで、より対話に集中できたと感じました。ソクラテスは自身が正しいと思う論理に従う、そういう人間であるというのに対して、自身が死ぬことをそう簡単に受け入れるのかとも考えたのですが、国法の流れから、彼自身も死の恐怖は感じていたものの、自身が脱獄することで周りに害が及ぶと思考し、それが自身の正義ではないと行き着いた結果なのかなと思いました。
・ソクラテスが国法をどのように見ているか(対等なのか国法が絶対的に上の立場なのか)という視点が、国法は上の立場だと解釈していた自分にはなかったものなので、対等だという他の人の意見を聞くのが楽しかったし、その意見に納得した。テキストを読んだ上で、自分の考えをしっかり持てるようになったからか、今回は他の人の意見によって自分になかった視点に気づかされることが増えたように感じた。次回は一人で読んでいるときも複数の視点で読めるようになりたい。
・ソクラテスが国法をどのように見ているか(対等なのか国法が絶対的に上の立場なのか)という視点が、国法は上の立場だと解釈していた自分にはなかったものなので、対等だという他の人の意見を聞くのが楽しかったし、その意見に納得した。テキストを読んだ上で、自分の考えをしっかり持てるようになったからか、今回は他の人の意見によって自分になかった視点に気づかされることが増えたように感じた。次回は一人で読んでいるときも複数の視点で読めるようになりたい。
第2回 近代哲学の光彩(2025年6月20日開催)
第1セッション デカルト『方法序説』
Aグループ
・演繹と帰納についての議論がとても興味深かったです。今までデカルトを「私は考える、ゆえに私はある」の人という認識しかしていなかったのですが、「人間の認識に入りうるすべてのことがらは、同じ仕方で互いにつながっている」ため、比例関係にあるものを線で表していくと、あらゆるものを発見し、認識することができるという考え方はとても感銘を受けました。
・演繹によって真理を探求するという方法に感動し、共感した。デカルトの演繹法は結構最強だと思う。昔から「我思う、故に我有り」というフレーズは聞いたことがあったが、それが持つ本来の意味や背景を理解できて良かった。感覚器官が信用ならないということだけで自分が持っている知識の内のほとんどが否定されるということに驚いた。
・演繹によって真理を探求するという方法に感動し、共感した。デカルトの演繹法は結構最強だと思う。昔から「我思う、故に我有り」というフレーズは聞いたことがあったが、それが持つ本来の意味や背景を理解できて良かった。感覚器官が信用ならないということだけで自分が持っている知識の内のほとんどが否定されるということに驚いた。
Bグループ
・デカルトの掲げた4つの方法の規則が真理の証明につながるという内容は現代においても、研究活動に通ずるところがあった。また「一つのことについては真理は一つしかない」というデカルトの主張は、数学には適用されると思うが、社会問題に関していえばそうとも限らないと感じる。イスラーム世界やキリスト教の世界など、世界には多様な文化・価値観があって、それぞれの民の統治方法も異なる部分があるからである。そういった意味では、デカルトの一連の主張は、西欧中心主義の一角を表していると言える。
・デカルトが諸学問に通じる仕組みを考えたとき、それらは互いに因果関係でつながっている。これを物理学など究極的に1つの理論を目指す学問だけでなく、我々が認識できる事柄にも適応できたら、同じものの様々な側面を見ることができそう。
・デカルトが諸学問に通じる仕組みを考えたとき、それらは互いに因果関係でつながっている。これを物理学など究極的に1つの理論を目指す学問だけでなく、我々が認識できる事柄にも適応できたら、同じものの様々な側面を見ることができそう。
第2セッション ルソー『人間不平等起源論』
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Aグループ
・文章量が多いこともあってか、最初読んだときの理解度はあまり高くなく、自分なりに解釈できるよう読んでみた。その上で、この対話を通して野生人と現代社会が対立構造かのように読めるかと思いきや、自然状態の野生人は、文明は発達していないが平等であるのに対し、現代社会は不平等が推進されており、実はどっこいどっこいだ、といこうとを知って面白かった。
・人間の本質にせまる文章であったと思う。「不平等」がもたらす悲劇と、「文明」がもたらす栄光の二面性について、普段触れることはあっても自ら踏み込むことのない領域であったため、いい機会であったと思う。ルソーが提唱する「不平等」の生まれた理由の経緯が少し恐ろしく感じた。
Bグループ
・思考実験として文明状態から自然状態を推測するという発想が面白かった。デカルトの方法序説と違って、現在の社会に至るまでの成り行きについて、極めて具体的に記述されていて読みやすかった。富を表すものとしては貨幣を創造しがちだけれど、それより以前に鉄と小麦の発明及び土地の所有が貧富の差を生んだということにとても納得した。
・「自然状態」の中での仮定に「社会状態」にある人を用いることは正しい仮定になっていないと感じた。「自然状態」はあくまでも推測であり、推測に基づいて論を展開することはデカルトの4つの規則に反する全く別の考え方だった。「社会状態」と「自然状態」は「偶然」を介した関係だという発言がふに落ちたのですっきりとした解釈だと思った。
・「自然状態」の中での仮定に「社会状態」にある人を用いることは正しい仮定になっていないと感じた。「自然状態」はあくまでも推測であり、推測に基づいて論を展開することはデカルトの4つの規則に反する全く別の考え方だった。「社会状態」と「自然状態」は「偶然」を介した関係だという発言がふに落ちたのですっきりとした解釈だと思った。
第1回 古典との対話へ(2025年5月9日開催)
第1セッション アリストテレス『形而上学』
Aグループ
・対話中は他の人の意見をきいて、驚かされ、また、それに基づいて自分の意見を言えたのが良かった。自分がぼんやりと感じた違和感や意見を他の人に言語化してもらえてはじめてちゃんと認識できるという場面がいくつかあったので、これからも読んでいる中での違和感を大事にしていきたいと思った。
・アリストテレスは全ての動物は感覚を有し、そこから記憶→経験→学問・技術が形成されると考えていると読み取ったが、対話の中で経験は「言語化された経験」と「言語化できない経験」があるのではないかと思った。言語化された経験はそこから学び、技術に発展するが、言語化できない経験は無生物、職人、音を聴く能のない動物にたとえられるようなものが持ち、感覚に相当するようなもので「信頼に値する知識」であるが、その応用はできない。言語化された経験は観照的・理論的でディアゴーグを生み出すことができると考えた。
・本日の対話を通じて「感覚」「記憶」「経験」「技術」の関連性を整理するとともに、「感覚」と「経験」はともに「知識」でありながらどのように違うのかという疑問を見出した。対話の参加者たちが本文から拾ってくる「感覚」の説明や、「感覚」と「経験」の違いを通じて、私は「感覚」から「経験」に至る過程で言語化のプロセスが踏まれており、それができるかどうかが学ぶことすなわち「知恵」を得ることにつながるのではないかと考えた。この対話を通して、さらに「経験」を「技術」にするために具体的に何が必要なのか、など細かく突きつめられると良かった。
・アリストテレスは全ての動物は感覚を有し、そこから記憶→経験→学問・技術が形成されると考えていると読み取ったが、対話の中で経験は「言語化された経験」と「言語化できない経験」があるのではないかと思った。言語化された経験はそこから学び、技術に発展するが、言語化できない経験は無生物、職人、音を聴く能のない動物にたとえられるようなものが持ち、感覚に相当するようなもので「信頼に値する知識」であるが、その応用はできない。言語化された経験は観照的・理論的でディアゴーグを生み出すことができると考えた。
・本日の対話を通じて「感覚」「記憶」「経験」「技術」の関連性を整理するとともに、「感覚」と「経験」はともに「知識」でありながらどのように違うのかという疑問を見出した。対話の参加者たちが本文から拾ってくる「感覚」の説明や、「感覚」と「経験」の違いを通じて、私は「感覚」から「経験」に至る過程で言語化のプロセスが踏まれており、それができるかどうかが学ぶことすなわち「知恵」を得ることにつながるのではないかと考えた。この対話を通して、さらに「経験」を「技術」にするために具体的に何が必要なのか、など細かく突きつめられると良かった。
Bグループ
・アリストテレスの学問への考え方を理解する中で、分からない語句や解釈があいまいなものに出会った時に、対話を通して自分なりの答えを見つけ出したいと思った。以前から「学問は娯楽のような暇つぶし」から始まったと考えていたため、アリストテレスが自分と同じようなことを考えていたと知って嬉しかった。また、アリストテレスが知への欲求について、感覚→記憶→経験→学問とつながっていると読み取り、なるほどと理解した。
・形而上学の論理構造が、感覚のあとに記憶・経験・技術と体系的になっていることが対話を通してすっきりと頭に入ってきた。経験や技術の定義が本文中ではどうなっているかについて、本文に即して忠実に読むことが自分一人ではできなかったことだと思った。また、フィシスとエトスの話など誤読していたことが多く、家で読むときにもっと注意深く読めなかったのかと悔やまれる。
・どうして「制作的[生産的]な知よりも観照的[理論的]な知の方が、多く知恵がある」と言えるのかが自分で読んでいるとき分からなかったのですが、対話を通じて、生産の先に余裕が生まれ娯楽的な発明に行きつくことがおもしろかったです。
・形而上学の論理構造が、感覚のあとに記憶・経験・技術と体系的になっていることが対話を通してすっきりと頭に入ってきた。経験や技術の定義が本文中ではどうなっているかについて、本文に即して忠実に読むことが自分一人ではできなかったことだと思った。また、フィシスとエトスの話など誤読していたことが多く、家で読むときにもっと注意深く読めなかったのかと悔やまれる。
・どうして「制作的[生産的]な知よりも観照的[理論的]な知の方が、多く知恵がある」と言えるのかが自分で読んでいるとき分からなかったのですが、対話を通じて、生産の先に余裕が生まれ娯楽的な発明に行きつくことがおもしろかったです。
第2セッション オルテガ『大衆の反逆』
Aグループ
・この文章はあらゆる所に「大衆」や「少数者」の定義が散らばっていて、そこをしっかりと読み取るのが難しかった。大衆は、権利は手にしているが義務は負っていないという指摘がとても興味深かった。オルテガの警鐘は現代社会にも通じているのでテキストの続きも読んでみようと思った。
・「小さな集団においての最上の場所」について、自分は政府などの社会的権力の座であると読解したが、それだけではなく、前の時代の群衆のいる場ではなかったホテル・汽車なども含まれているという考えを聞き、納得した。現代において「大衆」であることへの圧力が強くなった結果、少数者と、群衆の位置関係が逆転したことに対する警鐘を読み取った。細かい言葉の違いによりいっそう注目して、理解を更にふかめていきたい。
・「小さな集団においての最上の場所」について、自分は政府などの社会的権力の座であると読解したが、それだけではなく、前の時代の群衆のいる場ではなかったホテル・汽車なども含まれているという考えを聞き、納得した。現代において「大衆」であることへの圧力が強くなった結果、少数者と、群衆の位置関係が逆転したことに対する警鐘を読み取った。細かい言葉の違いによりいっそう注目して、理解を更にふかめていきたい。
Bグループ
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・大衆の反逆というテーマにおいて、「群衆」や「集団」と「大衆」の差別化を図ることは、文章の本質に気づくために重要なことだと思った。「群衆」と「大衆」の違いとして、群衆を量的であり、大衆を質的であるという本文からの解釈がとても理解しやすかった。対話前は、大衆の反対である「少数者」の定義について深く考えてはいなかったが、自分自身に高度な要求をかせるものであるという部分を指摘され、「少数派」の定義について深く考えることができた。
・前提知識がないと理解に苦しむと感じた。オルテガが触れていた大衆が社会的権力の座に登る以前の話や、途中の説明など語句の知識や文のつながりの理解を交えた相当な精読がないと完璧に言っていることを理解するのは困難だと感じた。自分自身が何となく言っていることを理解していることで、逆にいろいろなところに話が飛んでしまった。もう少し精読を重ねたい。 -


