吉田(沢松)和子・宗弘先生:1975年ウィンブルドン・ダブルス優勝者/吉田テニス研修センター理事長

『テニスに生きる~ウィンブルドンから車椅子テニスまで~』

先生のお話の主な内容

 沢松和子さんは、お父さんと「世界に通用する選手になる」と約束して本格的にテニスをやり始め、16歳で全日本テニス選手権に優勝し、以後8年間、国内試合で192連勝しました。18歳で全仏オープンとウィンブルドンの女子ジュニア部門で優勝して4大大会のジュニア2大会連続優勝を飾り、さらに、1975年、ウィンブルドン大会女子ダブルスで優勝しました。日本人女性初の快挙が衛星中継で放映されると、全国に大反響を及ぼし、空前のテニスブームがおこりました。沢松和子さんが打ち立てた金字塔は、伊達公子さんの時代に至るまで、日本テニス界に計り知れない影響を与えてきました。

 沢松和子さんは「外国では、日本人としての誇りをもって、試合に臨んだ」「『相手が100球打ち返してきたら、101球打ち返せ』と父が言った」「自分がウィンブルドンで優勝できたのは、周りの人々のサポートと協力があったからだと気づき、協力してくれた多くの人々に感謝する気持ちに素直になれました」「よいところを伸ばしなさい」「ポジティブに生きなさい」など大事な話をされました。

 吉田宗弘さんは、1988年、財団法人吉田記念テニス研修センターを設立して理事長に就任し、和子さんと共にその運営に当たっておられます。吉田宗弘さんは、テニスの歴史からTTC(テニス・トレーニング・センターの略称)の設立目的とその実践、さらに、北京パラリンピック金メダリストの国枝慎吾選手が、11歳の時にTTCに来てから、どのようにして世界チャンピオンになったのかを中心に、DVD映像とガツンとくる感動的な話をしてくれました。①挨拶をする、②時間を守る、③身体や道具を大切にするという、幼児との三つの約束の話や身障者にのぞむ態度(視診→問診→触診)の話、テニスをやる心構えの大切さ(「テニスの理想はラリーの連続である」「テニスは、心・技・体のバランスのスポーツだ」「国枝選手のような強い選手は、目標を設けて30000回以上も練習している」「一つの事を成し遂げるには、10年かかる」)など、生きる指針になるようなお話をしてくれました。

生徒や保護者の主な質問と感想

  • テニスは相手と「戦う」のではなく、「何とかサーブを入れないと、相手に失礼だし、自分のコートに入ってきたボールは相手コートに打ち返さないと失礼だ」というように、相手を気遣うスポーツだと知って、驚いた。(中1男子)
  • 「どんなことがあっても、自分のペースをくずさず、毎日毎日努力することが大切」などの言葉が印象的でした。(保護者)
  • テニスは誰にでも出来るスポーツでありながら、奥の深いスポーツだということがわかった。(中2男子)
  • 「俺は最強だ」と書いたラケットを使ったり、パラリンピック決勝戦のマッチポイントで、「お前は何万本も打ってきたではないか、思い出せ」と叫んでリターンエースを決めるなど、国枝選手の自分を集中させる方法はさすがだと思った。(中3男子)
  • 和子さんに教えられたテニス精神を尊重し、自分でも納得できるような選手になれるように頑張りたい。(高2女子)
  • 自分でやるべきこととやるべき期間を決めて、それに向かって努力することが大事だと思った。(高2男子)
  • 国枝選手が「足は使えなくなったおかげで、大きなチャンスを得ることが出来た」と両親に話したのは、感動した。(高1女子)
  • 国枝選手のストーリーに感動しました。今度はぜひ本人の話も聞きたいので、国枝選手を土曜講座に呼んでほしい。(保護者)
  • 夢に向かって一生懸命頑張らなければ、実現できないことがよくわかりました。(中1女子)