2023.11.1
市川学園理事長・学園長 古賀正一

 10月は中間考査をはさんで、球技大会、11月の高2沖縄(含む石垣島)修学旅行、中3長崎・広島2方面の修学旅行、中2京都宿泊研修に向けて各々の事前準備と事前研修、高3は進路の指針になる複数の模試が行われました。また、中学・高校入試の説明会、保護者交流会など多数の行事がありました。
 保護者交流会は、後援会主催の主要行事の一つです。今回は4年ぶりの対面行事となり、第Ⅰ部は若い卒業生4名によるパネル講演(遠隔地からのZOOM参加)、第Ⅱ部は各教室でグループ単位に分かれての保護者交流・懇談会でした。特に上級生の保護者が下級生の保護者に自身の体験を話すなど学年を越えて交流をする有意義な場となりました。講演した4人は、それぞれTV局報道製作ディレクター、企業の光学機械設計者、大学院を中退して起業した企業経営者、企業の技術職から念願のパイロットへの転身者で、自分の好きなことを追求してきた26才から34才の若き卒業生でした。いずれも学園時代には進路にも迷いながら、成績も必ずしも思い通りではない体験から、その後の努力や学び直しを通じ、自分の好きな道に進んでいる特色ある人材でした。率直に失敗も成功も話てくれ、保護者の心に響いたと思います。
 中学校の入試説明会は、校内外で行われる多数の説明会の総まとめになるもので、生徒休日の土曜日に一日3回(9時~、11時~、13時~)行われ、小職の学園方針、校長の教育方針・特色、各教科主任の教科教育方針と入試問題のポイント、広報部長から入試の要項や注意点などを説明し、その後第三教育センターなどで個別質問を受けるもので、各回とも國枝記念国際ホールが満員になる盛況でした。小職からは本学の建学の精神の先進性、モットーである楽しい学園生活について話しました。自分の特色、好きなことを探し、素晴らしい友人、よき先生、多くの本と出会い、授業、部活・行事、課外活動などあれもこれもやりつつ、日々の自身の進歩・成長を実感することこそが楽しい学園生活になると強調しました。
 幼稚園の運動会も盛んで、第一、第二幼稚園は、第1グラウンドで実施しました。今年は参観保護者の数は制限なし。特色は年少、年中、年長各クラスの種目だけでなく、入園前の未就園児、卒業生(小学校1年~6年)の参加種目もありました。園児は各々が特色あるパフォーマンスやポーズを取るなど個性を発揮していました。保護者の方々もお子様の成長を見て、楽しい半日を過ごしていただいたと思います。
 10月の話題は、将棋の藤井聡太名人・竜王が、永瀬拓矢王座との「王座戦」を制し、史上初の八大タイトル独占・八冠という前人未踏の快挙を達成したことでした。5才からはじめた将棋が何よりも好き、天賦の優れた才能、継続した努力、常に前向きな熱意、AIも活用しつつ圧倒的研究心があったからこその大天才の出現でした。周囲の支援や観客に対しての感謝の気持ち、謙虚な言葉使い、まだまだ未熟で現状に満足しない21才の発言には感激しました。地元での八冠報告の記者会見の言葉「私は5才の時から、将棋に取り組んでいくことでいろいろな経験ができた。将棋という夢中になれるものに出合えたことは幸運だったと思う。子供たちにも好きなこと、夢中になれることを見つけてほしい。もしそれが将棋だったら私も嬉しい。」には敬服しました。まさに自分で好きなことに集中し自分で工夫し学びつづける第三教育の大天才です。藤井さんのような大輪の花でなくとも、一人一人が好きなことに取り組み個々がもつ才能を開花させる学園のなずな精神には、環境と機会、本人の熱意と努力は勿論、ご家庭や学校はじめ周囲の方々の理解と支援が大切でありましょう。
 11月12日(日)行われる同窓会設立80周年記念総会・祝賀会は、多数の老壮青のOB・OGが学園に参集する予定です。同窓会の席で必ず語られるのが中学高校の同期先輩の縦横のつながりの重要さと何でも話せる気楽さです。先の保護者交流会における講師の若い卒業生4人と懇談した中でも、中高の友人について、社会人としての友人は仕事の関係が多い、大学の友人は同系統の友人が多い、しかし中高の友人は極めて多様であり、生涯続く友人と思うと語っていたのが印象的でした。
小職も最近友人との対面の会が多く、かつての職場の会、大学同期の会などそれぞれ楽しいのですが、やはり中高の同級生の会はかけがえないもので、いくつになっても深い友情を感じます。今年も中高の同期会が開かれ、20名が元気に集い、思い出と近況を語り合いました。通常はあまり連絡がなく淡い関係であっても、何かの折は心配してくれ、嬉しいときに本当に喜んでくれるのは、中学高校時代の友人です。「仲良きことは美しきかな」「君は君我は我なりされど仲よき」は、武者小路実篤の友情名言です。この言葉は年を重ねるほど味わい深くなります。真の友情は、気を遣うことなく利害を超えて人生を豊かにしてくれます。そこには話さずとも分かり合える信頼感があるからでしょう。
 当学園は、建学の精神のもとに集う同窓生の友情が中心となり、学園の持続的発展のため、物心両面で支えていただいており、有難いことです。一方学園は卒業生の変わらぬホームであり、心の故郷であり続けたいと思っています。

 『この道より我を生かす道なしこの道を歩く』(武者小路実篤)

2016.3.1
市川学園理事長・学園長 古賀正一

いよいよ第68回高校卒業式(3月2日)、429名の生徒はめでたく高等学校の卒業資格を得、新しい出発です。共学の第8期生となります。

教職員にとっては、6年間または3年間手塩にかけた生徒の巣立ちで、最もうれしい日でありますが、一抹の寂しさも伴うときです。すでにほとんどの生徒が、国立、公立、私立の入試を終わり、進路の決まった者、発表を待つ者、再度チャレンジする者などそれぞれです。人生は長いので、失敗も大きな成功への試練と考えるよう、心から激励しています。

A.今月の話題・・・大学入試改革はすでに始まっている(東京大学推薦入試)

今年から今までなかった東大、京大の推薦入試が始まりました。東大の場合は、後期入試(募集100人)がなくなり、新しく東大特別入試とも言うべき推薦入試(募集100人程度)が始まりました。多様な学生を入学させたい大学の入試改革の一環です。しかも各学部ごとに募集人員と推薦要件も異なっています。

各学校長が推薦できる人数は、学校ごと男女各1人です。選抜の方法は、提出書類・資料(課題小論文等を含む各学部ごとの要件)、面接等(個別面接、但しグループ・ディスカッションのある学部もあり)及び大学入試センター試験の成績(概ね8割以上の得点が目安)を総合的に評価して合否が決められます。

推薦要件は、各学部ごとに決められ、ハードルは高いのですが、入試の点数だけでない学生の多様な活動を総合的に評価しようという工夫が凝らされています。入学後もアドバイザー教員が、学問・進路の相談にのり、大学後期課程・大学院の専門教育を早期に受ける機会も設けられます。また1年半後の志望学部・学科を決める進学振り分けの対象にはなりません。東大のアドミッション・ポリシー(入学者受入れ方針)にもとづく意気込みが感じられます。

お蔭様で、学園からも女子生徒を工学部(領域5;バイオ、細胞、化学、有機分野)に推薦し、見事合格しました。面接も5人の面接官から、提出した書類・資料の内容、得意な教科、将来やりたいことなど多方面にわたり40分くらいの面接を受けたとのことです。

面接により、十分に問題意識や思考力、学校内外の活動、コミュニケーション能力なども評価されたと思います。彼女は、SSHの課題研究も素晴らしく、またタイやスウェーデンなどに研修の機会を得るなど、校内校外での活動も評価されたと思います。

合格発表の後、小職知人の東大元副学長から次のような要旨の祝いのメッセージをいただきました。『通常の一般選抜試験を受けても合格する学力を持った生徒さんだと思いますが、1ヵ月早く受験勉強から開放されたことは、彼女にとり大きなメリットです。

このボーナスの1ヵ月を利用して、大学に入ったら何をやるかをじっくり考え、力強いスタートを切ってほしいですね。推薦入試は、東大特別入試とも言うべきもので、日本でトップクラスの先生方がじっくり面接して合格と決めたのですから、誇りに思うよう彼女に伝えてください。』

東大推薦入試全体では募集人員100人程度に対し、出願者数173人、書類による第1次合格者149人、最終合格者77人。平均倍率2.25倍でした。一般入試に比べ女子が多いのも特徴です。

学部別合格者は、法14人、経済4人、文3人、教育4人、教養2人、工24人、理11人、農9人、薬3、医3でした。千葉県は、私立4人、県立1人合格でした。新しい試みゆえ、是非合格者の今後の活躍を期待したいものです。

国公立大学の推薦・AO入試の拡大など個別入試改革、学部の再編、学部の新設など、大学教育改革は、すでに新しい入試制度(大学入学希望者学力評価テスト、H32年度スタート予定)を含む高大接続改革を先取りしていることを感じます。高校教育も、高大接続改革と骨格のアクティブ・ラーニングの趣旨を先取りし、新しい教育を実践し、真に卓越した生徒を育成しなければと思う昨今です。

B.2016年1月末から2月の主な学園行事・活動

  1. 1月29日(水) 東大教育学部学生の学園訪問
    本学のLA(リベラルアーツ)ゼミ講師で東大講師小林汎先生の教育法ゼミの学生41名が来校。授業見学、学校紹介、学校見学など現場を体験してもらった。また放課後小グループに分れ、学園生徒と懇談してもらい、生徒に大学生活、勉学法など大きな刺激をいただいた。
  2. 1月30日(木)  27年度最後の土曜講座
    俳優・コンサルタントの深山敏郎先生の『シェクスピア作品の面白さを知る』と国立極地研究所教授、元南極観測隊長本吉洋一先生の『宇宙の謎は南極でわかる』が、年度最終講義。27年度は、合計8回12人の各分野の識者の先生方に来校いただいた。
  3. 2月4日(木) 中学第2回入学試験
    募集人数40名、受験者431名、合格者42名、倍率10.26倍。
  4. 2月5日(金) 高校第2回入学試験
    募集人数35名、受験者369名、合格者49名、倍率7.53倍。
  5. 2月11日(木) 中学入学者のガイダンス実施
    定員320名に対し最終342名の入学が決定した。定員に対し106.8%。あわせて当日市川中学校から高校に進学する321名のガイダンスも実施した。
  6. 2月15日(月) 英国イートン・カレッジ(全寮制私立パブリックスクールの代表校)との交流会
    イートン・カレッジのサマースクール代表者G.ファシー氏の来日の機会の折り、交流会に参加。当学園も、今夏からイートンのサマースクールに生徒が参加する。これで英国研修は、ケンブリッジ大学、オクスフォード大学と合わせて3コースとなった。
  7. 2月19日(金)、20日(土) 恒例の合唱祭(第10回)
    19日中学2年・3年の部、20日が中学1年の部として実施。クラス対抗で課題曲、自由曲の2曲で競う。各クラスの個の力量とチームワークが試されるため、生徒達も非常に熱がこもる行事である。今回から審査員は、プロの声楽家、音楽科教員、音楽系大学在学中の卒業生など専門家中心となった。中2の今年の課題曲は生徒の作詞・作曲による『未来へのつばさ』。尚、中3の課題曲『大地讃頌』は、本学園・高校9回卒の佐藤真氏の作曲である。
  8. 2月27日(土) 中学学校説明会
    学校概要をはじめ今年度入試の状況、入試問題の解説と注意点など、小学5年生対象に実施。約600人参加。

2013.11.01
市川学園理事長・学園長 古賀 正一setumeikai20131026

 11月は陰暦霜月(しもつき)、日本気象協会の『季節のことば36選』では、木枯らし1号、七五三、時雨(しぐれ)であり、二十四節気では立冬、小雪(しょうせつ)です。

10月も学校行事は多く、2日間の高校球技大会、中学体育大会、帰国生保護者会、中間試験、芸術鑑賞会(打楽器アンサンブル。中1は学外鑑賞会として劇団四季『リトルマーメイド』を観劇)などが行われました。

また来年の中学入試説明会を10月26日27号台風通過中の9:00、11:30、14:00の3回実施し、合計約3100名の保護者・小学生が来校いただき感謝いたします。

理事長、校長以下教職員全員で心をこめ歓迎いたしました。理事長挨拶と教育方針、担任の説明と生徒との対話、DVDの上映など学園生活紹介、国語・算数・理科・社会各教科主任の来年度入試問題の出題方針と対策(来校できなかった方のためHPにも掲載)、広報部長の入試の概要と会場説明、校長のお礼と激励の挨拶など熱心に聴いていただきました。その後校内見学および個別質問などにも多数参加いただきました。また説明会に先立ち行った、ブラスバンド部の演奏、中学生の主張大会で優秀賞を取った中3女子生徒による『今すべきこと』と題するスピーチ、なずな祭で研究発表した中1男子生徒の『日米の介護の比較研究』には、保護者の方々も非常に感心しておられました。翌27日高校説明会にも約1000名の方がご参加いただき感謝いたします。

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さて尊敬する人物をあげろと言われれば、小職はまず第一に、故土光敏夫元経団連会長、元東芝会長をあげます。(1896-1988) 経営者であると同時に真の教育者であったと思います。資源のない日本で今一番大切なのは人材(財)育成、人づくりです。先般日本工業倶楽部会報に書いた拙文の要旨を以下に掲載します。

アベノミックス3本の矢がはなたれた今、各界リーダーの決断と強力な実行、各個人のチャレンジ精神、創意工夫、自助・自立力を必要とする日本再生時代である。今こそ故土光敏夫日本工業倶楽部第9代理事長(IHI,東芝の社長・会長、経団連会長等歴任)の精神に学ぶべきことが多いと最近痛感している。以下敬愛の念をこめて土光会長と呼ばせていただく。

土光会長は、石川島播磨重工業(IHI)の会長の後、1965年68歳で東芝社長に就任された。当時東芝は技術力はあるが、業績が伸びぬといわれた時代であった。小職は1959年大学卒業後、当時の東京芝浦電気株式会社(現東芝)に入社し、丁度7年目、コンピュータ技術者として油の乗り始めた頃であった。外部からの土光社長の就任は社内に大きな衝撃を与えた。社長就任後、朝は7時半に出社され、“役員は3倍働け、社長は10倍働く”と宣言し、工場、支社店など現場を精力的に視察し、強力に改革に着手された。チャレンジとレスポンスが社内の合言葉で、トップリーダーが変わることで、会社の空気が一変したことを覚えている。

当時他社にもなかったコンピュータの専門工場をつくる決断をされ、1967年都下の青梅市小作に青梅工場を完成させた。小職の強烈な印象は、川崎からの移転のため、絶対客先に迷惑をかけてはならぬと厳命され、工期を3ヶ月前倒しで年末年始に引越しをしたことである。大晦日には、単身鶴見のご自宅から電車を乗り継ぎ現場に来られ、引っ越し中の我々社員を激励された。立川の複数の旅館に、上司同僚ともども泊り込んで工場を立ち上げたことは大きな自信となった。移転完了後の懇親会に社長自ら出席され、『若い人は未来がありいいな、頑張れよ』などと激励され感激したことは、忘れ得ぬ思い出である。

土光会長は著書『経営の行動指針』の中で、座右の銘を一つだけあげろといわれれば、躊躇なく【日に新たに、日々に新たなり】(大学;【苟日新、日々新、又日新】が原典)をあげると書かれている。一日のことはその日に始末する、昨日を悔やみ明日を思い煩うな、今日という一日に全力を傾ける、これが最大最良の健康法であると。

母上登美さんの影響を強く受けたことを、自身語られている。登美さんは1942年橘女学校(鶴見)を創立した。現在学校法人橘学苑となり、共学の中学校・高等学校、幼稚園をもつ私学として、大きく発展している。土光会長は、登美さんの死後激務の中、橘学苑の理事長・校長もされた。教育・人づくりに深い関心をもち、人間の能力に限りない信頼をおき、常にチャレンジを続けられた。経営者であると同時に真の教育者でもあったと思う。人づくりに関する土光語録のいくつかをあげたい。括弧内は小職の注記である。

午前4時起床、読経からはじまる多忙な一日は、朝の野菜ジュースとヨーグルト、夜のめざしと大根の菜などに象徴されるように、清貧で一ヶ月の生活費は10万円であったといわれている。

経団連会長後、1981年行政改革のため、鈴木善幸総理大臣から三顧の礼で要請され、土光臨調といわれた第二次臨時行政調査会の会長を84歳で引き受けられた。当時国債残高が年々増加し政府も強い危機感を持った。提言を必ず実行することを条件に引き受ける。土光会長はシンプルを旨とされ、無駄を省くべし、賛沢は文化を悪くする、企業もまた然りであるといわれ、国は無駄を省き、増税なき財政再建をし、後世に借金を残すなと強く主張された。

1983年答申をまとめられたが、当時の国債残高は約100兆円、名目GDP比35%であった。土光会長の献身的努力にもかかわらず、官庁の再編、地方行政改革など思い切った行革、増税なき財政再建はついに現在に持ち越されている。土光会長の執念により、国鉄、電電公社、専売公社は民営化され、今のJR、NTT、JTとして業績を上げているのは衆知のとおりである。

2013年3月末国債残高見込み827兆円、名目GDP比約約170%である。国債に借入金、政府短期証券を加えた残高は1000兆円を超え、GDP比200%を超える。1988年逝去、享年91歳。簡素で清らかな葬儀が、日本武道館で執り行われた。一人の巨星がこの世を去った年であった。土光会長の先見性ある提案が実行され、改革の先送りがなければ、日本も変わっていたと思う。草葉の陰で現状を怒っておられる姿に頭をさげ合掌したい。

理事長・学園長
古 賀  正 一

 10月も行事の多い月でしたが、天候にめぐまれ、生徒達も存分に活躍し、青春をエンジョイしました。主なものを上げると、高校球技大会(6日、7日)、中学体育大会(9日)、SSH物理教育研究会(13日、全国30校以上の教師参加)、日本ユネスコ招聘の中国教師団日本視察研修で学園訪問(中国各地域代表30名の教職員による視察。授業参観、ミニシンポジウム、中国料理/数学を中国教師が中1生徒へ模擬授業)、中間試験(24日-27日)、芸術鑑賞会(青島広志指揮神奈川フィル4回公演、28日、11月1日)、中学・高校受験生対象大説明会(29日、30日計4回、4300名来校)、中3全員駿台模擬試験(30日)などです。

さて学園本館2階の中央部古賀教育センターに隣接し、学校としては珍しい施設、鳥の標本を展示した『山階鳥類標本室』があります。世界的に著名な鳥類学者であり、山階鳥類研究所の創設者であった元侯爵 山階芳麿博士から寄贈されたものです。標本は105個体あり、いずれも貴重な学園の宝物であります。

学園創立の当初、創立者 古賀米吉は、英語教師として博士の英語の論文執筆や英語での講義等の助言の役割で、渋谷区南平台の山階邸をしばしば訪問していました。博士とのこうした親交が縁で、昭和14年12月、当時の旧制市川中学校に標本が寄贈されました。昭和14年といえば、学園創立3年目、古賀49歳、博士は北海道大学で理学博士をとるべく調査研究の39歳であり、鳥類の専門家と英語の専門家が互いに教え教えられる交友関係であったと思われます。この標本は長らく旧校舎の図書館で保存してきましたが、自然劣化、微細な塵の沈着、紫外線の劣化などが見受けられ、新校舎移転の平成19年春、標本の補修、洗浄を行いました。

当時副校長の根岸昇先生を中心に今後長期の保存展示に耐えられるよう整備されました。その際 『我孫子市鳥の博物館』の時田賢一氏(市川高校23回卒業生)、内田科学社にお世話になりました。

現在『山階鳥類研究所』は、千葉県我孫子市にあり、総裁 秋篠宮文仁親王殿下、理事 長島津久永氏、所長 林良博氏で、林所長には、来年1月土曜講座でお話をいただく予定です。

山階博士と家庭教師古賀米吉の関係は、昭和14年以前からで、記録によれば昭和17年まで続いており、太平洋戦争開戦後も続けられていたことになります。やはり自然科学の世界は、論文は英語、どんなときでも国際的であったのでしょう。

山階博士との英語の勉学について、まさに共同作業であったことが古賀米吉の文章から伺えます。「・・・私はかつて鳥の学者に、英語で書かれた鳥の本を教えたことがある。この場合、教えたというとうそになる。鳥のことをぜんぜん知らない英語教師と英語のあまりできない鳥の研究家とがしばらく対話をしていると、解決してくれるのはいつも鳥の研究家の方であった。読文力とか読書力とかいわれるものは、用いられている語や句や文法に関する知識のほかに、文章の内容に関する知識が伴わなければならない。だれにでもできる小語でも読む人によって理解の深さにひどい違いがある。文は人なりというが、読む人も人だと言いたい・・・」(昭和42年学園図書館報『読む、考える、記録する』より引用)

有名中学(旧制)の英語教師、英国留学経験(ロンドン大学)、英語本の著述、予備校名物教師を経験した当時の古賀米吉は、英語の達人であったと思われます。英語に関しての識見は、昨今の英語力向上に通じるものがあります。

古賀米吉の英語力についての見解は、各所に書かれ話されています。要は語学だけ学んでも駄目で中身の理解が不可欠であることを強調している点、また海外経験から通じる英語(コミュニケーションツール)に言及している点が特徴です。

1、英語は、読む・書く・聞く・話す(RWLS)4技能共に大切。

2、できるだけ英文を多読せよ、語彙を増やせ。

3、英文の読解には、単なる文法の知識のみならず、中身について理解と背景の深い知識と教養が必要。英文の読解には、他の教科の知識をなおざりにできない、常識・教養が必要。

4、難関大学の入試問題は、日本語に訳しても中身が分からぬもがある。これは英語の力というより、思想・教養の力、人の力である。

5、教科書を見ず英語の朗読を聞け。耳で多くの英語を聞き大意をつかむこと、ことばは耳から。

6、できるだけ声を出して文章を読むこと、基本文は何回も書き読むこと でものになる。

今はよい教科書・参考書があり、DVDがあり、よい教師が周囲におり、ネイティブの先生や外国人との交流も多く、当時とは環境が格段に違うが、外国語特に英語習得の基本は変わらないと思います。