2026.7.1
市川学園理事長・学園長 古賀正一
6月に入り恒例の芸術鑑賞会が行われました。6月1日2日には、高2以外の全学年が國枝記念国際ホールにおいて、ザ・ブルーコーツオーケストラによるジャズコンサートを鑑賞しました。ビックバンドによるジャズの名曲を楽しむとともに、ジャズの歴史、音楽に合わせて踊るダンスの大切さを学ぶ機会となりました。3日は台風6号の影響で学校休業としたため、高2の校外でのミュージカル鑑賞会は、残念ながら中止となりました。4日には避難訓練を実施しました。また12日から2泊3日で高1が九十九里宿泊研修、12日には、中2は横浜、中3は東京を舞台に校外学習を行い、課題探求活動と併せて、班員と友情を深めました。事前・事後の学習が良い成果をあげています。
さらに、トピックスとしては、関東高校陸上競技大会で、高3女子生徒が200mおよび400mでともに優勝し、7月に滋賀県でのインターハイに出場します。千葉県高校総体で、ハンドボール部が優勝(3年連続30回目)、8月に奈良県でのインターハイに出場します。かるたの甲子園千葉県大会で、競技かるた部が優勝(3年連続3回目)、7月の近江神宮での全国大会へ出場します。
さて毎年5月末から6月初めにかけ、後援会の定期総会が開催されます。今年度は6月6日(土)に定期総会(幹事会)が対面とZOOM(欠席幹事と一般会員参加)で行われ、野村後援会長のもと、25年度事業報告・決算、並びに、26年度事業計画・予算について審議が行われ、新しい役員人事とともに承認されました。後援会には、制服リサイクル委員会、保護者交流会実行委員会、後援会報編集委員会、高3謝恩会実行委員会が設置されており、さらに、なずな祭参加の特別プロジェクトも行われています。総会後には、第Ⅰ部の学年別懇談会、第Ⅱ部の委員会別会議が実施され、活発な意見交換が行われ、26年度の後援会活動がスタートしました。後援会活動が活発で物心両面にわたり支援いただけることは大変有難いことです。また、保護者の皆様の様々な意見や疑問を集約し、学園が回答をする交流の場ともなっています。
学園は終戦後の約10年間を除き、この会をPTAまたは保護者会と称せず、「後援会」という名称を用いてきました。文字通り、学園の教育活動を後援・支援していただいてきました。私学に対する国や県の補助がほとんどない時代には、保護者の皆様に学園債を買っていただき、校舎建設などの資金とし、卒業時に無利子でお返しするなど、学園運営が苦しい時代もありました。
総会冒頭に下記の要旨でご挨拶をいたしました。
「幹事をお引き受けていただいた皆様には、感謝とともに、幹事のメリットも享受し活用していただきたいと思います。第一は、委員会活動を通じて学校をより深く知っていただくことです。第二は、幹事の皆様同士の交流、意見交換を闊達にし、友人となり人間関係を豊かにしていただくことです。」
後援会の原点は、創立50周年史「50年の歩み」(1987年発刊)に記載されています。1942年の学校会計台帳には、後援会からの支出内訳の記載があり、学校創立後かなり早くから「後援会」の名称が使用されており、保護者が学園を後援する組織として設立されたものと思われます。1944年の第3回中学卒業生には、全員に紀念賞(内容不明)が後援会から贈られています。戦後は、1948年に市川学園PTAの名称に変更されましたが、1959年4月に再び市川学園後援会に改称されました。これは、会の性格を明確にするため、後援会であるべきとの創立者の考えがありました。1961年に、第1回学園債の募集が行われ、好調な結果を収めた記録があります。また、1962年には、第2回学園債の募集も行われました。当時は、学園債の募集に加え、周年行事・祝事ごとに直接後援会が推進役として保護者からのご支援を募り、校舎の新築・改修を行ってきました。
現在の後援会の会則の要旨は以下の通りです。
名称・・・第1条 この会は市川学園後援会(以下「本会」)と称する。
本部・・・第2条 本会は本部を市川学園内に置く。
目的・・・第3条 本会は市川学園の教育方針に基づき、その教育事業を後援し、生徒及び会員の福祉の向上ならびに同学園の発展を支援することを目的とする。
事業・・・第4条 本会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。なお、事業の円滑な運営のために、必要に応じて委員会を設置することができる。
(1)総会の開催。
(2)学園の教育施設及び設備の充実。
(3)生徒及び会員の福祉の向上。
(4)教職員の研究補助。
(5)会員相互の親睦及び会員と学園との連携。
(6)慶弔に関する支援。
(7)本会の目的に資するために必要なその他の事業。
会員・・・第5条 本会は次の会員によって組織する。
1.通常会員 本会は市川中学校及び市川高等学校の生徒の保護者
2.賛助会員 本会の目的に賛同し、役員会の承認を得て会長の推薦した者
以下役員の種別、役員と幹事の選出・任務・任期などの項目は省略します。
学校と保護者の会は、PTA型から後援会型まで種々の様式があり、参加形態・活動内容・活動頻度も異なりますが、保護者がその学校の発展と生徒の成長を願うための協力組織であることには変わりはないと思います。今後も後援会の皆様と力を合わせ、より良い教育環境の実現に努めてまいります。

6月に入り恒例の芸術鑑賞会が行われました。6月1日2日には、高2以外の全学年が國枝記念国際ホールにおいて、ザ・ブルーコーツオーケストラによるジャズコンサートを鑑賞しました。ビックバンドによるジャズの名曲を楽しむとともに、ジャズの歴史、音楽に合わせて踊るダンスの大切さを学ぶ機会となりました。3日は台風6号の影響で学校休業としたため、高2の校外でのミュージカル鑑賞会は、残念ながら中止となりました。4日には避難訓練を実施しました。また12日から2泊3日で高1が九十九里宿泊研修、12日には、中2は横浜、中3は東京を舞台に校外学習を行い、課題探求活動と併せて、班員と友情を深めました。事前・事後の学習が良い成果をあげています。
さらに、トピックスとしては、関東高校陸上競技大会で、高3女子生徒が200mおよび400mでともに優勝し、7月に滋賀県でのインターハイに出場します。千葉県高校総体で、ハンドボール部が優勝(3年連続30回目)、8月に奈良県でのインターハイに出場します。かるたの甲子園千葉県大会で、競技かるた部が優勝(3年連続3回目)、7月の近江神宮での全国大会へ出場します。
さて毎年5月末から6月初めにかけ、後援会の定期総会が開催されます。今年度は6月6日(土)に定期総会(幹事会)が対面とZOOM(欠席幹事と一般会員参加)で行われ、野村後援会長のもと、25年度事業報告・決算、並びに、26年度事業計画・予算について審議が行われ、新しい役員人事とともに承認されました。後援会には、制服リサイクル委員会、保護者交流会実行委員会、後援会報編集委員会、高3謝恩会実行委員会が設置されており、さらに、なずな祭参加の特別プロジェクトも行われています。総会後には、第Ⅰ部の学年別懇談会、第Ⅱ部の委員会別会議が実施され、活発な意見交換が行われ、26年度の後援会活動がスタートしました。後援会活動が活発で物心両面にわたり支援いただけることは大変有難いことです。また、保護者の皆様の様々な意見や疑問を集約し、学園が回答をする交流の場ともなっています。
学園は終戦後の約10年間を除き、この会をPTAまたは保護者会と称せず、「後援会」という名称を用いてきました。文字通り、学園の教育活動を後援・支援していただいてきました。私学に対する国や県の補助がほとんどない時代には、保護者の皆様に学園債を買っていただき、校舎建設などの資金とし、卒業時に無利子でお返しするなど、学園運営が苦しい時代もありました。
総会冒頭に下記の要旨でご挨拶をいたしました。
「幹事をお引き受けていただいた皆様には、感謝とともに、幹事のメリットも享受し活用していただきたいと思います。第一は、委員会活動を通じて学校をより深く知っていただくことです。第二は、幹事の皆様同士の交流、意見交換を闊達にし、友人となり人間関係を豊かにしていただくことです。」
後援会の原点は、創立50周年史「50年の歩み」(1987年発刊)に記載されています。1942年の学校会計台帳には、後援会からの支出内訳の記
載があり、学校創立後かなり早くから「後援会」の名称が使用されており、保護者が学園を後援する組織として設立されたものと思われます。
1944年の第3回中学卒業生には、全員に紀念賞(内容不明)が後援会から贈られています。戦後は、1948年に市川学園PTAの名称に変更されましたが、1959年4月に再び市川学園後援会に改称されました。これは、会の性格を明確にするため、後援会であるべきとの創立者の考えがありました。1961年に、第1回学園債の募集が行われ、好調な結果を収めた記録があります。また、1962年には、第2回学園債の募集も行われました。
当時は、学園債の募集に加え、周年行事・祝事ごとに直接後援会が推進役として保護者からのご支援を募り、校舎の新築・改修を行ってきました。
現在の後援会の会則の要旨は以下の通りです。
名称・・・第1条 この会は市川学園後援会(以下「本会」)と称する。
本部・・・第2条 本会は本部を市川学園内に置く。
目的・・・第3条 本会は市川学園の教育方針に基づき、その教育事業を後援し、生徒及び会員の福祉の向上ならびに同学園の発展を支援することを目的とする。
事業・・・第4条 本会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。なお、事業の円滑な運営のために、必要に応じて委員会を設置することができる。
(1)総会の開催。
(2)学園の教育施設及び設備の充実。
(3)生徒及び会員の福祉の向上。
(4)教職員の研究補助。
(5)会員相互の親睦及び会員と学園との連携。
(6)慶弔に関する支援。
(7)本会の目的に資するために必要なその他の事業。
会員・・・第5条 本会は次の会員によって組織する。
1.通常会員 本会は市川中学校及び市川高等学校の生徒の保護者
2.賛助会員 本会の目的に賛同し、役員会の承認を得て会長の推薦した者
以下役員の種別、役員と幹事の選出・任務・任期などの項目は省略します。
学校と保護者の会は、PTA型から後援会型まで種々の様式があり、参加形態・活動内容・活動頻度も異なりますが、保護者がその学校の発展と生徒の成長を願うための協力組織であることには変わりはないと思います。今後も後援会の皆様と力を合わせ、より良い教育環境の実現に努めてまいります。
2026.6.1
市川学園理事長・学園長 古賀正一
4月末より生徒の夏服登校が可能となり、5月末には教室で冷房運転が開始されるなど、季節は初夏へと移って参りました。4月の高2・高3の授業参観・保護者会に続き、5月2日には高1の授業参観・保護者会および中1の保護者会、9日には中2・中3の授業参観・保護者会が行われました。また、12日には、中2・中3合同の体育大会と中1の鴨川遠足が実施され、学年・クラスの共同体意識が高まりました。
中間考査も終了し、いよいよ中1生も部活動に参加します。
また、年8回16講座の土曜講座が16日からスタートしました。第1回は元ポルトガル国特命全権大使・太田誠氏の「ポルトガル・・・初めて出会ったヨーロッパ」、元沖縄大学学長・盛口満氏の「身近な自然を見る眼鏡」をテーマとした講座が行われ、2会場ともに中1生から高3生までが積極的に参加し、活発な質疑応答が行われました。
また、文科省「トビタテ!留学JAPAN」において、学園の合格者は、過去最多の18名(高1:11名、高2:7名)で、全国トップクラスとなりました。
さらに、ケニアで行われる高校生ディベート世界大会2026(WSDC:The World Schools Debating Championships)の日本代表チームに本校英語部員の高2女子生徒が選出されました。大会は7月14日から24日まで開催予定であり、チームではクラウドファンディングで資金調達にも取り組んでいます。
さて、本校は創立者である古賀米吉が英国留学中に、全寮制でリーダーを育成するイートン校をはじめとする私立男子校(パブリックスクール)の教育に感銘し、新しい学校の創設を志したことを原点としています。同校の自由と規律、自ら学ぶ自主性(図書館の重要性)、そして寮生活を通じて友人同士が鍛え合うことに多くを学びました。この体験が建学の精神にも反映され、戦時下においてもかなりリベラルな学校でした。
終戦後、新制中学・高校になり、直ちに寮をつくることはできませんでしたので、まず図書館を充実させました。1965年に念願の敬和寮を建設し、クラス入寮・クラブ入寮・止宿入寮を開始しました。さらに、1971年に、山の施設として軽井沢学舎を建設し、海の施設として一宮町営国民宿舎を取得し改修し、一宮学舎としました。その後、敬和寮は改修、一宮学舎、軽井沢学舎はともに場所を移動し、一宮学舎は新築し、軽井沢学舎は銀行の寮を買収し改修し、クラス入寮、春期学校、夏期学校、クラブ活動、教員研修会等多角的に使用されてきました。当時は、自前の寄宿寮や海・山に校外施設を持つことが、私学のステータスでもありました。しかし、2000年代になると、管理人が駐在し自前で施設を維持することよりも、外部の研修施設やホテル・民宿を必要な時に使用する方が合理的と考え、一宮、軽井沢ともに売却しました。敬和寮も、高1生のクラス単位の入寮、部活での活用を中心に利用されてきましたが、用途が限られ、昨年売却を決定し、現在は住宅地として活用されます。思い出の詰まった寮であり残念ですが、これも時代の流れと言えるでしょう。
しかしながら、建学の精神にある「共同生活」の重要性は変わることなく、学校行事などで一緒に泊まり食事を共にする機会は、むしろ増えています。AIやSNSの時代であるからこそ、寝食を伴う共同生活は、貴重な体験です。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。
「同じ団体や組織に所属する者同士が日々の食事を共にすることにより、組織としての一体感や帰属意識を保つこと、または共同生活をして苦楽を共にした親しい間柄という意味の語」とされています。寝食を共にして苦楽を分かち合うことで、親しく連帯感の強い仲間ができます。生活や厳しい環境を共にすることで、強い信頼関係が生まれます。「同じ釜」の由来は、昔、一つの釜で炊いた飯をみんなで食べたことから、共同生活や一体感を表現しています。
寮生活はなくとも、寝食を共にし、共に目標に向かうこと、LINEなどではなく対面で語り合うことは、特に若い時代にはかけがえのない体験です。
本校では今年も多様な宿泊行事が行われます。下記はその一例です。
・学年全体で行う宿泊行事・・・九十九里研修(高1・6月)、富士山研修(中1・7月)、京都研修(中2・10月)、沖縄修学旅行(高2・11月)、台湾修学旅行(中3・11月)
・希望者による宿泊研修・・・国際研修(英国ケンブリッジ大、英国イートン校、米国ボストン、タイ、マレーシア、ニュージーランド)、トビタテ!留学JAPANなどでの他国の生徒との合宿、SSHのタイ・ドイツ・三宅島・白神山地研修、高校各学年の勉強会合宿など多数
・国内外の外部の行事への生徒の自主参加・・・他校や海外の生徒との多様な宿泊活動
以上のような宿泊活動に積極的に参加し、多様な「同じ釜の飯を食う」経験をすることは、人間力向上につながり、かけがえのない財産になると思っています。
敬和寮の名称由来・・・互敬協和(ごけいきょうわ;互いに敬い合い、仲良く協力し合う)



2026.5.1
市川学園理事長・学園長 古賀正一
26年度がスタートし1ヶ月、あっという間に過ぎました。
4月は新しい出発、新しい出会いの月です。学園では、4月8日に在校生の始業式、9日には中学・高校それぞれの入学式が、桜の花が咲き続ける中で行われました。翌日からオリエンテーションなどを行い、13日から全学年の授業が始まりました。さらに18日には、生徒主催による新入生歓迎会(クラブ紹介など)が行われました。
各学年では新たな出発にあたり、新鮮な思いを込めた学年通信を出していますが、特に中1と高1の表題と学年主任の思いを紹介します。
中学1年生:表題「Ichikawa Commons」
互いに切磋琢磨し、協力し助け合うことを意味する「共有地(入会地)」です。スローガンは、「パラダイムシフト」としました。考え方が劇的に変化することを意味しますが、新しい学びや新しい友との出会いを通じて視野を広げ、これまでの常識を更新してほしいという願いを込めています。
高校1年生:表題「やらまいか」
授業・部活動(委員会)・課外活動の3本を柱とする「三立」を生活と学びの土台とし、HONDAの創業者である本田宗一郎の「やらまいか精神」(まずやってみる姿勢)を軸として、生徒一人ひとりの成長を支えます。
さて、学園には3つの幼稚園(市川学園幼稚園、第2幼稚園、西の原幼稚園)がありますが、その一つである第2幼稚園の連携施設として、第一グラウンド内に1~2歳児の保育施設「キッズフォレスト」の園舎が完成し、4月1日より19名の園児を迎えて保育をスタートしました。
2300㎡の森の敷地の中にある素晴らしい建物です。創立者・古賀米吉は0歳からの幼児教育を重視しており、創業の地に保育施設が誕生したことは感慨無量です。建学の精神である「一人ひとりの特徴をよく見て伸ばそう」という『なずな教育』のスタートの場です。
設計者のコンセプトは、「木漏れ日が降り注ぎ、陽ざしが漏れてくる空間で、四季を感じ、感性を豊かに過ごす保育施設」です。また、市川学園幼稚園でも、園内において2歳児からの保育を始めました。
3つの幼稚園はいずれも、絵本・童話をたくさん所蔵し、親子での読書を重視しています。貸し出しできるたくさんの絵本・童話に加え、原画の所有と展示、絵本・童話に関する行事を行っています。絵本や童話には、大人が読むべき作品が多く、素晴らしい本が多数あります。
第2幼稚園では、絵本作家による講演、原画展示、年長組の絵本遠足(クレヨンハウスでの絵本の選定と購入)など、絵本や童話に関するイベントを園の特色あるプロジェクトとして推進しています。
特に絵本は、絵と文章が「コトバ」となり、シンプルですが、人生・愛・成長・老い・孤独・幸福・友情などの本質的テーマが多く、余計な説明がない分、深く考えさせられる本が多いと思います。
大人が絵本を読む理由としては、こうした本質的テーマに触れられること、想像力・感性を取り戻せること、短時間で深い読書体験ができること、自分自身に向き合えること、そして心の癒しになることなどでしょう。
最近感銘を受けた絵本は、「おおきな木」(原題The Giving Tree)で、シェル・シルヴァスタイン(1932~1999:米国の児童文学作家、詩人、音楽家、漫画家)が文も絵も書いており、1964年米国で出版、31ヶ国語に翻訳されたロングセラーです。(日本語訳:本田錦一郎)2010年には村上春樹による新訳が出版されました。
リンゴの木(She)が、少年(Boy)の一生に、最初から最後まで、すべてのものを与え尽くす物語です。少年はリンゴの木の葉、実、枝、幹のすべてをもらい尽くし、お金にし、家をつくり、船をつくり、人生の旅を過ごし、最後に年老いて、古株だけになったリンゴの木に戻ってくるストーリーです。
読者は、自分は木なのか、それとも少年なのか、幸福や無償の愛とは何か、現実の人生の事例など、いろいろと自由に考えることができます。
絵本や童話は、平易でありながら、深い哲学書でもあると思います。
参考文献;
おおきな木(シェル・シルヴァスタイン、村上春樹訳:あすなろ書房)
英文(日本語訳つき)のものもあります。
Wikipedia:おおきな木(音声資料あり)
Wikipedia:シェル・シルヴァスタイン
NHK100分de名著 絵本スペシャル

2026.4.1
市川学園理事長・学園長 古賀正一
3月は別れの季節であり、新しい出発への準備のときです。3月4日には、第78回高校卒業生417名の卒業式(卒業証書授与式)を、田中甲市川市長、二川則義同窓会長、野村あずさ後援会長をはじめ、多くの来賓にご臨席いただき、厳かな中にも和気あいあいとした雰囲気で、無事に挙行することができました。学年主任・担任を先頭に入場する卒業生を拍手で迎え、君が代斉唱、理事長・学園長挨拶、市川市長挨拶、卒業証書授与、賞状賞品授与、校長式辞、同窓会会長挨拶、祝電披露、卒業生からの記念品目録贈呈、卒業生への記念品贈呈、卒業生謝辞、卒業の歌「旅立ちの日に」を保護者に向けて合唱し、最後に校歌斉唱で式を締めくくりました。その後、卒業生の退場を見送り式典を終えました。毎年のことながら、感動する時間です。午後には、後援会・卒業生主催の謝恩会があり、お世話になった先生方(学園幹部、学年教職員ほか)への感謝の言葉と記念品贈呈、学園生活での思い出の映像、余興、合唱「3月9日」など、短時間でしたが充実した心のこもったひとときでした。
中学は99%が市川高校に進学する(内進生)ので、卒業式でなく修了式としています。23日の終業式の日に、國枝記念国際ホールにて、理事長挨拶、卒業証書授与、校長祝辞を行い簡素ながら心を込めた門出を祝う式を行いました。
さて、作家の司馬遼太郎は晩年「二十一世紀に生きる君たちへ」(注)というエッセイを、小学校6年の教科書(大阪書籍:小学国語下)に書きました。
技術革新のスピードが速く、自国第一・自分第一主義、対立と分断が続く今こそ、価値あるメッセージであり、その要旨を以下に記します。
1.空気・水・土など自然こそ、不変の価値であり、人間は他の動植物とともに自然に依存しつつ生き、生かされてきた。
2.人間は古代でも中世でも自然こそ神々とした。自然をおそれ身を慎んできたが、近現代になり人間こそが一番偉い存在だと思いあがってきた。
人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされているという素直な態度こそ希望であり君たちへの期待である。
3.君たち自身のことである。人間は、自分に厳しく、相手にやさしい、素直で賢い自己を確立しなければならない。
4.21世紀は科学・技術がもっと発達するが、洪水のように人間をのみこんでしまってはならない。人間が科学・技術を支配し、良い方向にもっていってほしい。
5.人間は孤立しては生きられず、社会という支え合う仕組みを作っている。人間は自己中心でなく支え合う存在であり、助け合う、いたわり、他人の痛みを感じること、やさしさが大切である。これらは本能ではないので訓練が必要である。これがしっかり根づけば、他民族へのいたわりも湧き出る。
6.君たちは自己を確立し、魅力ある頼もしい人間になってほしい。君たちの未来が真昼の太陽のように輝いていると感じた。
(注)掲載本:「十六の話」(中央公論社)、「二十一世紀に生きる君たちへ」(司馬遼太郎記念館)および(朝日出版社)
司馬さんは、21世紀を背負う若者へ、頼もしくたくましい強さを持った人間であるとともに、自己中心でなく、やさしさ・思いやり・人の痛みを感じ、生かされているという謙虚な気持ちを持たねばならないと言っています。
今、世界では戦争や紛争が収まらず、むしろ拡大・エスカレートしています。力こそ正義、強ければ何をやってもよいという風潮が広がり、民主主義・法の支配・基本的人権が危機にあります。これが本当の強さなのか、いま真の強さとは何かを考えてみる必要があります。
奇しくも、今年の東京大学の入試における英語問題2(A)は、下記の通りでした。
「以下の問いに、60~80語の英語で答えよ。What does it mean to be strong?」
まさに知識でなく思考力を測る問題であり、強いとは何か、単なる肉体的な力ではないものとして、「強さ」や「弱さ」、他者との関係などを理解し論じる問題です。
正解はいろいろあると思いますが、強さの定義、具体的内容が必要でしょう。
回答として、「強いとは、単に身体的な力や恐れを感じない力を意味しない。真の強さとは、困難に正直に立ち向かい、あきらめず、自分の弱さを受け入れ、失敗しても努力を続ける力にある。また、強い人は、他者を理解し、特に弱者を支える。困難にあっても忍耐と勇気を示す。強さとは他者を支配することではなく、共感すること。逆境でも助け合うことである。」など考えたい。
強さを示す有名な言葉として、下記の言葉を思い出します。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」米国の作家レイモンド・チャンドラーの小説プレイバックの中で、主人公の私立探偵フィリップ・マーロウに言わせた名言です。 以下が原文です。
「 If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」