2024.10.31理事長メッセージ
理事長からのなずなメッセージ#227 0才からの教育・・・市川学園第2幼稚園創立60周年に思う
2024.11.1
市川学園理事長・学園長 古賀正一
9月のなずな祭、10月の高校の球技大会が終わり、11月には高2修学旅行、中3修学旅行、中2京都研修など続き、2学期はまさに生徒が青春を謳歌し、学園での思い出を育む時期です。同窓会も各支部での総会が続き、11月にはコロナ禍で中断したホームカミングデイ(HCD)を迎えます。また後援会も各委員会が活発で10月20 日には、卒業生4人の講演を含む保護者交流会が行われました。
学園に付属幼稚園があることはご存じと思います。創立者は早くから幼児教育特に0才からの教育に着目し、1953年市川学園幼稚園(通称第1幼稚園)を設立し、その後順次八千代台幼稚園(1958年~2020閉園)、第2幼稚園(1964~)、西の原幼稚園(1996~)を設立しました。現在3園共通の基盤・理念のもとに、それぞれの園の特色を伸ばしつつ、学園幼稚園統括者のもとに運営されています。3園合同教職員研修会、3園連絡会議、人事交流など闊達に行われています。また中高の施設を使った行事(運動会、発表会など)、中高の生徒や教職員の幼稚園訪問などが行われています。園児が中学受験者になったときには、先輩卒園生の生徒が説明を行うスクールツアーや、入試検定料免除などの特典もあります。
学園が幼児教育をはじめたのは、創立者古賀米吉の人間に対する深い洞察と幼児教育こそが教育および人生の原点であり、教育は0歳からはじまるという強い信念でありました。現在少子化の中、幼児教育も多様化し保育との一体化など、子育てに光が当たっており、社会も政治も幼児教育・保育に強い関心をもち支援していることは、幼稚園創設時とは隔世の感があります。
最初の幼稚園である市川学園幼稚園設立趣意書は、広い識見から幼児教育の重要性をのべています。
「前略 ・・・幼児教育は、後に続く学校教育の基盤をなし、そのあり方は各人の生涯を強力に宿命づけるものである。オリンピック制覇の基礎は、幼児教育から始められなければなるまい。十二歳といわれる国民の政治年齢の成長も、此所から始められなければなるまい。近時幼児の教育を希望する家庭の声が高い。然るにこの幼児教育に対して、国も地方自治体も極めて冷淡であるのは、どうしたことであろうか。・・・後略」。幼児の時代からオリンピック選手の養成、国民の政治年齢など、当時ではあまり考えない先進的なことを述べています。
また学園の建学の精神は、幼稚園からスタートします。一人一人かけがえのない特色をもつ「人間観」は現在の多様性重視であり、一人一人を大切によく見る「なずな教育」は、現在の個別教育重視であり、自主性、個性、創造性を伸ばす「第三教育」は、現在の能動的教育で、いずれも幼児教育・保育にこそ重視されなければなりません。
さて今年は第2幼稚園が創立60周年を迎えました。第1幼稚園、八千代台幼稚園に続く3園目の幼稚園として、前述のように1964年東京オリンピック開催の年4月に開園しました。当時学園旧校舎(第一グラウンド)の周辺が住宅地になる頃で、中高のバレー、テニスコート跡地に園舎を建設しました。最初の園長は創立者古賀米吉、園児62名でスタートし、園児数が100名を越えるのは4年後でした。その後、6人の園長が歴任し現在8代目です。創立10周年である1974年には園児数が155名となり、新園舎の増築を行い、その後も施設、設備等改築増強を行ってきました。第一グラウンドに近く、保護者の駐車場、体育館の活用、自然活用等も行える地の利のある幼稚園です。
現在第2幼稚園の特色としているところは、
・3年間同じクラスのため、園児が互いにクラス全員の個性を認めあえる環境
・徒歩・自転車通園が基本で毎日保護者と教員が対話し、アットホームな関係
・隣接する広大な第一グラウンドで伸び伸び遊ぶことができること
(四季折々の「自然あそび」やビオトープを作り、自然観察・体験活動)
・絵本・読書を重視し、親子で絵本に興味関心を持てる取組と環境
(「100冊の絵本」、700冊以上の絵本の貸し出し、絵本作家の原画を常設展示、都内の絵本専門店で「年長・絵本遠足」の実施など)
最後に第2幼稚園の未来ですが、幼児教育・保育の一体化のため、幼稚園型認定こども園として、1~5歳児まで一貫したものとすべく、そのための準備を整えているところです。第一グラウンド内に1~2歳児の園舎、給食施設など緑の中の園舎として現園舎との連帯ある施設を建設する予定です。
今後とも3幼稚園のそれぞれの特色を伸ばし連携し、幼児教育に尽力して参ります。
「幼児教育は、後に続く学校教育の基盤をなし、そのあり方は各人の生涯を強力に宿命づけるものである。」(1953年市川学園幼稚園設立趣意書)