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2023.04.15校長日記

創立者 古賀米吉先生の生涯 ~創立記念日によせて(23.04.15)

学園には本校地内に3面の運動場(通称ウオークトップ・コート)と古賀記念アリーナ、隣接地に総合グラウンドがあります。
旧校舎跡は第1グラウンドとなり古賀記念体育館を併設、さらにその近隣に第2グラウンドや相撲場、そしてJR市川大野駅付近には大野グラウンド(野球場)があり、充実した運動施設で運動部員が活動しています。
現在の本校地も、以前は3つの野球部(硬式・軟式・中学)とラグビー部、テニス部が活動するグラウンド(通称 第3校地)でした。
2003年に竣工した新校舎建築のためラグビー部、軟式・中学野球部は第1グラウンドへ、テニス部は第1グラウンドや総合グラウンド内のテニスコートに移動。さらに、2004年には硬式野球部の活動拠点として大野グラウンドが完成しました。
それから20年。大野グラウンドは老朽化した部室や防球・防砂ネットを張り替える大がかりな工事を終え、4月6日に落成式を行いました。
周辺の環境に配慮しながら、快適なクラブ活動を送れるようリニューアルされた新グラウンドは、硬式野球部を中心に活発に利用されています。

こうした運動施設の充実は、創立者古賀米吉先生の想いを反映したものです。
先生は、著書『楽しい学園生活』の中で「理想とする学園をつくりあげる3要素は、生徒と教師の進歩、正常な人間関係、そして快適な環境である。学校は縦横無尽な人間関係の修行の道場であり、心を込めて施設設備を手入れし、使い馴らすことが教育の功績につながる」と記されています。

先生は1891年、福岡県で誕生。恵まれない家庭環境で育ち中学卒業後(当時の中学は現在の高校相当)、故郷で代用教師を勤めながら福岡師範学校(現 福岡教育大学)を卒業。その後 東京に移住し、小学校教師の職を続けながら受験勉強に励み、29歳で東京外国語学校(現 東京外国語大学)に進学。外大卒業後は、府立四中(現 都立戸山高校)の英語教師を勤めながら、東京帝国大学文学部に入学。1930年、40歳で東大を卒業されました。
さらに、1931年から2年間にわたり、欧米に留学。英国で視察したイートンカレッジの教育に感銘を受けて帰国し、1937年に市川中学校を創立しました。
体ひとつで福岡から上京した「いち教師」が、実力と情熱をもって人びととの知遇を得、市川学園を創立。しかし初年度の入学者はわずか32名と当初は苦難の連続で学園経営はいばらの道でした。
そんな中にあっても「変わらぬ執念」で切り拓いた道が今日につながっています。まさに生涯を学びと教育にささげた第三教育の実践者です。

さて、私自身が市川中・高生時代に校内でお見かけしていた米吉先生の印象は、肩幅の広い偉丈夫な方でした。
先生は、中学時代に剣道部の主将と野球部エースを掛け持ち、その後の東京外国語大学でも仲間と共に野球部を立ち上げ、キャプテン兼エースピッチャーとして活躍されていました。
そして学園の生徒には快適な環境で思い切り学ばせたい。伸び伸びと体を動かし、文武両道に励んで欲しい。特にスポーツでは「1人のスターよりは、3000人の愛好家」を育てたいとの先生の想いが、現在の体育施設の充実につながっているのです。

本日、4月15日 本校は86回目の創立記念日を迎えました。

※学園の施設・設備はこちらでご紹介しいています。