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2006.11.01理事長メッセージ

理事長からのなずなメッセージ#11 土光敏夫さんと日々新たなり

理事長・校長 古賀正一

昭和57年のNHK特集【85歳の執念~行革の顔・土光敏夫~】の再放送を見た。かつて見た番組だが新鮮であり、今日こそ必要な国民への警鐘のメッセージであった。
番組は、土光さんが、東芝社長、会長、経団連会長後、行政改革のため、土光臨調といわれた第二次臨時行政調査会の会長を引き受ける経緯からはじまる。
当時国債残高82兆円となり(平成17年度現在国債残高538兆円、利払い9.25兆円)、強い危機感で鈴木善幸首相が土光さんに白羽の矢を立て、三顧の礼をもって就任を依頼した。提言を必ず実行する事を条件に引き受ける。

午前4時起床、読経からはじまる多忙な一日と個人の清貧な生活を描く。朝の野菜ジュースとヨーグルト、夜のめざしと大根の葉など、めざしの土光で有名になった。個人の生活はつましく、一ヶ月の生活費は10万円であったという。
土光さんの略歴とともに、母親登美さんの影響を強く受けたことが語られる。登美さんは昭和17年70歳で、たった一人で橘学苑という女子中学校(鶴見)を創立する。

土光さんの生活はシンプルであり、無駄を省くべし、贅沢は文化を悪くする、企業もまたしかりが持論であった。国は無駄を省き、増税なき財政再建をし、後世に借金を残すなと強く主張した。土光さんの献身的努力にもかかわらず、官庁の再編など思い切った行革、増税なき財政再建はついに現在に持ち越されている。成果は国鉄、電電公社、専売公社が民営化されたことである。昭和63年没、享年91歳。

以上が番組の概要である。

土光さんの先見性ある提案が実行され、改革の先送りがなければ、日本も変わっていたであろう。草葉の陰で怒っておられることと思う。簡素で清らかな葬儀は、日本武道館で、経団連、東芝、日本たばこ(日本専売公社・当時)の合同葬で執り行われた。当時小職は東芝の新任取締役として、主催者側の末席に参列したが、その時の経験と深い悲しみは忘れられない。

一人の偉大な人物がこの世を去った。

土光さんは、昭和40年石川島播磨重工業の会長の後、請われて68歳で東芝社長に就任された。
就任後、朝は7時半出社、役員は3倍働け、社長は10倍働くと宣言され、改革に着手された。当時チャレンジとレスポンスが合言葉であった。
小職の強烈な印象は、当時他社にもなかったコンピュータの専門工場を、東京都下青梅に造る決断をされ、昭和42年末に8ヶ月の工期で工場を完成させたことである。川崎からの移転のため、絶対客先に迷惑をかけてはならぬと厳命し、3ヶ月前倒しで、年末年始をかけ移動した。しかし宿舎は間に合わずホテルに泊り込んだこと、移動完了後の懇親会で会費として多額のポケットマネーをいただき、酒が滅法強かったことなど思い出に残こる。

土光さんは名著『経営の行動指針』の中で、座右の銘を一つだけあげろといわれれば、躊躇なく

日に新たに、日々に新たなり (注)
をあげると書かれている。

その後段に「私は一日の決算はその日のうちにやることを心がけている。・・中略・・きのうを悔やむこともしないし、あしたを思いわずらうこともしない。このことを積極的に言い表した言葉が日新だ。きのうもあしたもない。新たにきょうという清浄無垢の日を迎える。きょうという一日に全力を傾ける。きょう一日を有意義に過す。これが私にとって、最大最良の健康法になっているかもしれない。」と書かれている。

今日本は、規範意識と倫理観、自立心と自助努力、義務と責任感、公の心が強く求められている。土光さんの言った数々の言葉を心からかみしめ、われわれ大人が、まず自らを正し実行しなければならない。

(注)原典は大学にある言葉【苟日新、日々新、又日新】。中国の殷の時代(BC1600-BC1100)の湯王が洗面の器に刻み、日々新たなることを自戒したという。