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2013.11.01理事長メッセージ

理事長からのなずなメッセージ#97 真の経営者は教育者

2013.11.01
市川学園理事長・学園長 古賀 正一setumeikai20131026

 11月は陰暦霜月(しもつき)、日本気象協会の『季節のことば36選』では、木枯らし1号、七五三、時雨(しぐれ)であり、二十四節気では立冬、小雪(しょうせつ)です。

10月も学校行事は多く、2日間の高校球技大会、中学体育大会、帰国生保護者会、中間試験、芸術鑑賞会(打楽器アンサンブル。中1は学外鑑賞会として劇団四季『リトルマーメイド』を観劇)などが行われました。

また来年の中学入試説明会を10月26日27号台風通過中の9:00、11:30、14:00の3回実施し、合計約3100名の保護者・小学生が来校いただき感謝いたします。

理事長、校長以下教職員全員で心をこめ歓迎いたしました。理事長挨拶と教育方針、担任の説明と生徒との対話、DVDの上映など学園生活紹介、国語・算数・理科・社会各教科主任の来年度入試問題の出題方針と対策(来校できなかった方のためHPにも掲載)、広報部長の入試の概要と会場説明、校長のお礼と激励の挨拶など熱心に聴いていただきました。その後校内見学および個別質問などにも多数参加いただきました。また説明会に先立ち行った、ブラスバンド部の演奏、中学生の主張大会で優秀賞を取った中3女子生徒による『今すべきこと』と題するスピーチ、なずな祭で研究発表した中1男子生徒の『日米の介護の比較研究』には、保護者の方々も非常に感心しておられました。翌27日高校説明会にも約1000名の方がご参加いただき感謝いたします。

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さて尊敬する人物をあげろと言われれば、小職はまず第一に、故土光敏夫元経団連会長、元東芝会長をあげます。(1896-1988) 経営者であると同時に真の教育者であったと思います。資源のない日本で今一番大切なのは人材(財)育成、人づくりです。先般日本工業倶楽部会報に書いた拙文の要旨を以下に掲載します。

アベノミックス3本の矢がはなたれた今、各界リーダーの決断と強力な実行、各個人のチャレンジ精神、創意工夫、自助・自立力を必要とする日本再生時代である。今こそ故土光敏夫日本工業倶楽部第9代理事長(IHI,東芝の社長・会長、経団連会長等歴任)の精神に学ぶべきことが多いと最近痛感している。以下敬愛の念をこめて土光会長と呼ばせていただく。

土光会長は、石川島播磨重工業(IHI)の会長の後、1965年68歳で東芝社長に就任された。当時東芝は技術力はあるが、業績が伸びぬといわれた時代であった。小職は1959年大学卒業後、当時の東京芝浦電気株式会社(現東芝)に入社し、丁度7年目、コンピュータ技術者として油の乗り始めた頃であった。外部からの土光社長の就任は社内に大きな衝撃を与えた。社長就任後、朝は7時半に出社され、“役員は3倍働け、社長は10倍働く”と宣言し、工場、支社店など現場を精力的に視察し、強力に改革に着手された。チャレンジとレスポンスが社内の合言葉で、トップリーダーが変わることで、会社の空気が一変したことを覚えている。

当時他社にもなかったコンピュータの専門工場をつくる決断をされ、1967年都下の青梅市小作に青梅工場を完成させた。小職の強烈な印象は、川崎からの移転のため、絶対客先に迷惑をかけてはならぬと厳命され、工期を3ヶ月前倒しで年末年始に引越しをしたことである。大晦日には、単身鶴見のご自宅から電車を乗り継ぎ現場に来られ、引っ越し中の我々社員を激励された。立川の複数の旅館に、上司同僚ともども泊り込んで工場を立ち上げたことは大きな自信となった。移転完了後の懇親会に社長自ら出席され、『若い人は未来がありいいな、頑張れよ』などと激励され感激したことは、忘れ得ぬ思い出である。

土光会長は著書『経営の行動指針』の中で、座右の銘を一つだけあげろといわれれば、躊躇なく【日に新たに、日々に新たなり】(大学;【苟日新、日々新、又日新】が原典)をあげると書かれている。一日のことはその日に始末する、昨日を悔やみ明日を思い煩うな、今日という一日に全力を傾ける、これが最大最良の健康法であると。

母上登美さんの影響を強く受けたことを、自身語られている。登美さんは1942年橘女学校(鶴見)を創立した。現在学校法人橘学苑となり、共学の中学校・高等学校、幼稚園をもつ私学として、大きく発展している。土光会長は、登美さんの死後激務の中、橘学苑の理事長・校長もされた。教育・人づくりに深い関心をもち、人間の能力に限りない信頼をおき、常にチャレンジを続けられた。経営者であると同時に真の教育者でもあったと思う。人づくりに関する土光語録のいくつかをあげたい。括弧内は小職の注記である。

  • 真の教育は自己啓発にその基礎をおいている(自ら学び生涯学び続けることこそ教育の目標)

  • 人の長所をみて育てることが重要(人の短所を見るより、長所を生かせ)

  • 教育は人間を創ること、松ノ木は松ノ木に育てよ(各自の持ち味を伸ばせ)

  • 魅力のある人とは、他人の個性を十分引き出せる人(教育の原点はその人間の特色を引き出すこと)

  • 根性即ち仕事や学問への欲の強さと持続力が差をつける(あきらめないこと)

  • 人間は、失敗を契機に変わるものだ(失敗や逆境は人間を大きく成長させる)

  • 頭脳を鍛錬せよ、使えば使うほど大きく豊かになる(人間の能力開発は無限)

午前4時起床、読経からはじまる多忙な一日は、朝の野菜ジュースとヨーグルト、夜のめざしと大根の菜などに象徴されるように、清貧で一ヶ月の生活費は10万円であったといわれている。

経団連会長後、1981年行政改革のため、鈴木善幸総理大臣から三顧の礼で要請され、土光臨調といわれた第二次臨時行政調査会の会長を84歳で引き受けられた。当時国債残高が年々増加し政府も強い危機感を持った。提言を必ず実行することを条件に引き受ける。土光会長はシンプルを旨とされ、無駄を省くべし、賛沢は文化を悪くする、企業もまた然りであるといわれ、国は無駄を省き、増税なき財政再建をし、後世に借金を残すなと強く主張された。

1983年答申をまとめられたが、当時の国債残高は約100兆円、名目GDP比35%であった。土光会長の献身的努力にもかかわらず、官庁の再編、地方行政改革など思い切った行革、増税なき財政再建はついに現在に持ち越されている。土光会長の執念により、国鉄、電電公社、専売公社は民営化され、今のJR、NTT、JTとして業績を上げているのは衆知のとおりである。

2013年3月末国債残高見込み827兆円、名目GDP比約約170%である。国債に借入金、政府短期証券を加えた残高は1000兆円を超え、GDP比200%を超える。1988年逝去、享年91歳。簡素で清らかな葬儀が、日本武道館で執り行われた。一人の巨星がこの世を去った年であった。土光会長の先見性ある提案が実行され、改革の先送りがなければ、日本も変わっていたと思う。草葉の陰で現状を怒っておられる姿に頭をさげ合掌したい。