今年度の感想抄録

今年度の感想抄録

~ Why don’t we have a dialogue? ~対話を終えて ~感想集より~

第6回 Rhetoric in Europe and America(2026年2月13日開催)

第1セッション William Shakespeare “JULIUS CAESAR”

Aグループ

・まず、シェイクスピアの戯曲を原文で読む、かつ、ただ読むのではなく、客観的に考えながら読むことがすごく貴重な体験になった。日本語訳ではなく原文の英語だからこそ、その”筆者の表現”に関して議論を進めていけるのがよかった。この文章を通じて群集心理やスピーチ時の印象操作について深く考えたが、一番考えさせられたのがプルータスのスピーチについてで、シェイクスピアが描こうとしたブルータス像を、その順番やスピーチ時の群集に「いいえ」と言わせないような質問の投げかけ、正直かつ理論的なスピーチ内容といったように、しゃべっている量は少ないのにブルータス像をきれいに描き、観客に同情させるのがうまい。この見方楽しい。
・とにかくブルータスに感情移入してしまいました。シェイクスピアの読者の心を引き込む力をひしひしと感じるテキストで、とてもおもしろかったです。理性的に民衆に訴えるブルータスと、感情に訴えかけるアントーニアスという対比構造がおもしろかったし、これは現代社会に通じるところがあるなと思って、アントーニアスの演説がまさにポピュリズムだなと感じて、少し怖くなりました。アントーニアスがわざわざ説教壇から下りることで民衆と同じ視点に立ち、感情を動かしているのがうまいなと思いました。私は断然ブルータス派ですが、その場にいたらアントーニアスの演説のうまさに圧倒されてアントーニアスに賛成してしまいそうだなと思って、ちゃんと自分の芯を持って生きたいなと思いました。

Bグループ

・演劇なのでたいへん面白く、読みやすかったように感じました。自分で読んで考察したときは、シーザーの遺体やマントが民衆に見せられたシーンに注目し、「痛み」を通じた民衆の一体化について考えてみました。自分としては他に考察できそうなところが見つけられずなかなか苦しんだのですが、対話に参加してみたところ、演劇での動作やブルータスとアントーニアスのセリフの似通った部分の語順など自分が見落としていた考察ポイントの多さに気づかされました。また、演劇的な視点から観る者の心理について先生が教えてくださり、非常に面白い観点だと思いました。
・今まで読んだ文章の中で一番面白かったです。今までで一番自分の考えがまとまったし、楽しかったです。細かい表現(ブルータスの「Be patient until I finish, Believe me~」など、命令形が多いため、流されやすい市民の性質を理解しているだろうということや、ブルータスは「Romans, country men, and friends」の順番で呼びかけているのに対し、アントーニアスは「Friends, Romans, country men」の順番になっている、ということなど)に気付く人が多くて、私は全く気付かなかったので感激しました。「ブルータスは理性、アントーニアスは感情」のように一見思えるけれども、実際はブルータスよりもアントーニアスは策士でいろいろ計算しているかも、ということが話し合いでわかって、本当に面白かったです。

第2セッション Abraham Lincoln “The Gettysburg Address”

Aグループ

・演説がされた時代だけでなく過去や未来にもつながる解釈に対話で気づかされ、とても面白いと思った。また、広く一般的なイメージを使って、さまざまな背景がある人々をまとめようとしたという意見が印象に残っている。シェイクスピアとの関わりを少しでも見つけることができたのも、冒頭で示されていたリンカーンがシェイクスピアの文を暗唱していたということの答え合わせみたいに感じられた。libertyとfreedomの違いについての議論は、自分では気づくことができなかったので、聞いていて楽しかったし、新たな発見になったと思う。
・リスニングだけで、本当に当時の人はこのスピーチを受けとめられたのだろうかと、今でも疑うくらい文法が難しかった。ただ、スピーチを通してリンカーンが伝えたい方針や重要キーワードを一旦押さえてから全体をながめると、非常に洗練された文章なんだなと感銘を受けた。僕がそうなのだが、スピーチをする直前に見た、聞いた、思い出した(自分が言った)言葉やフレーズは、話す内容をどう伝えるかに思った以上に影響を及ぼしているから、このゲティスバーグの演説の前にリンカーンが話した言葉、過ごした友人・経験したことを深掘ってみると「その人の言葉」としてより重みを感じられるかもしれない。また、今日初めて原文の大切さ(というより、日本語訳の過不足さ、もどかしさ)を感じられたのはとてもよい経験だった。これから、もっといろんな英語の名著名演説に触れてみたいと思う。

Bグループ

・第1パラグラフで”equal”というキーワードを提示し、アメリカ独立宣言を踏まえているという考えを聞いてはっとした。また、戦争ではなく、”civil war=内戦”とリンカーンが表現しているのはなぜかという問いが非常に興味深く、リンカーンは「人民の人民による人民のための政府」による国家を樹立することが内戦の先にみすえた目的なのではという見方を手に入れた。最初にアメリカ独立宣言を想起させ、2段落目でゲティスバーグ、すなわち戦場について考えさせる(いわゆる「死者系」)、最終段落で壮大なスケールで話し、”can not”のくり返しや”that”の連続、”the government of the people, by the people, for the people”といった語感の良さにより民衆に演説をしみ込ませ、内戦の目的を3分にしてすり替えるといったレトリックの恐ろしさも実感した。
・リンカーンが独立宣言を持ち出した理由には、暫定憲法を制定して”独立して”しまった南部との共通点や両者の原点を強調するためということが挙げられるとモデレーターの木曽先生が話されて、今まで何か違和感を感じていた部分が解消された。政治的な背景が、リンカーンに多大な影響を与えたことを知って、これからも熱心に世界史を勉強しようと強く思った。また対話では触れられなかったが、”the last full measure of devotion”が戦死を意味するシェイクスピア的なレトリックで美しいと改めて感じた。ゲティスバーグ演説の、「死」から未来へと歩み出すという趣旨がイザヤ書にもみられ、キリスト教の世界では「死」をまず始点とするのが主流だと感じ、宗教的な面白さを認識した。この演説は、現代アメリカにも影響を与えていると思うので、さらに考えていきたい。

第5回 現代への飛翔(2026年1月9日開催)

第1セッション M・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

Aグループ

・現代の日本の政治体制である資本主義が、本来の意味合いを持っているとは考えたことはなく、ただただ金を増やし続けることが精神として根底にあったという説に驚かされた。ただそれは同時に無力感から来るもので、神というよりどころを失った人々が行き着く先が金だったと考えるならば、今の世界のシステムを単純に捉え、「金を稼ぐために勉強して偉くなる!」とは一概に思えないと感じた。対話で長文に渡るこの文章を自分の言葉で噛み砕くことができたと思った。が、あくまで理解を軽くしただけであり、当時の人々が抱いていた生への絶望、神への依存、金への依存に至る背景、これらすべてに共感、理解できたわけではない。今後も読み返し、自分の考えをリニューアルしていきたい。
・キリスト教信者と資本家の相関については近年話題となるので気になっていました。原因と結果が入れかわっている議論も世界には多いなか、今まで自分が知らずにいた歴史的事情、宗教的観念をもととしたこのテキストは新鮮でした。また、これまでのテキストと比較して近年に記された著作物だったので、みなさんが例に出した現代の出来事が印象的でした。

Bグループ

・「職業(ベルーフ)」、「天職(ベルーフ)」「召されている(ベルーフェン)」というベルーフという言葉の意味の違い、尚且つ、職業を神が与えた使命として書かれているのがとても興味深かった。また、第二章での”予定説”では、神から救済を受ける人はあらかじめ決められているという説になってしまうのでは、と思ったが、それが個人主義の根となり、国民性を作り出すという視点に関心を持った。
・タイトル『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んだときから、二者の関係性に疑念を抱いており、本文を読んでみてもプロテスタンティズムのあり方、資本主義の精神、予定説について列挙されているようにしか読めなかったが、対話を通じてプロテスタンティズムと資本主義にある共通性がくっきりとしてきて、文章の全体的つながりがわかった気がした。しかしながら、「孤独」「個人主義」といった論点に触れることができなかったので、そういう部分のつながりが追究できなかったのは悔やまれた。予定説を受けてもなお、恩寵の地位を確証するために禁欲を行う人々を知って、はかなくも思われた。

第2セッション E・フロム『自由からの逃走』

Aグループ

・私は権威に抗うのが好きな方で、特に中学生の頃なんかは”無言清掃”の呼びかけに反抗して友達と話しながらもものすごく丁寧に清掃してみるなどしていたが、今思うとやたら、権威・権力というものに固執していたなと思う。また、先生もおっしゃっていたことだが、自らの権威主義的性格に自覚的になることは、大変重要だと感じる。客観的に自分とある物事や、ある人との関係をみつめ直すことで、現在の自分の輪郭がはっきりしてくるのではないか。
・自由は自らの理性、意志、良心によって決定すると考えられていたが、それが実は内的権威や匿名の権威によって生じたものなら、人間の真の自由は何によって生まれるのか。自らの内部から生まれた良心であってもそれに逆らうことができなければ、それは自由となるのだろうか。権威主義者は、権威と戦うことで、無力感を克服しようとしているのが、自分にもあてはまっているようで面白かった。服従へのあこがれが残っているのはなぜなのかよくわかっていないが、超常的な力に決定されているという予定説的な特質があり、唯一の幸福が服従であるというのはなぜなのか。

Bグループ

・本文を頭から1つひとつ丁寧に解釈を進めることができ、とても建設的な話し合いを進めることができた。筆者が掲げているテーマ=問いに対して各段落の意味を考え、言葉の言い換え部分などをつなげることによって読み進めることができた。「人間は皆権威主義的性格(=自由の束縛を愛す、過去を重視、宿命観、無力感を打ち消したいがために権力の傘下に入る、服従=英雄)を待っているがゆえに、服従を愛する。その源は孤独を恐れるという所かもしれない」という結論に至った。だが、なぜ「過去」なのか? はわからなかった。人間の関係は全て力の優越と劣等の関係というのは、本音では嫌な考え方だし、そこに無力感が加わるとギスギスしそうだが、ファシズムが誰にでもその芽があることを考えると、これも逃れられない人間の性の1つであると受け入れるしかないのかもしれない。
・人間は服従する権威を常に探し求めるというフロムの主張はたいへん面白いと思った。フランスで革命が幾度となく起こった理由は、フロムの主張に従えばフランスの民衆がマゾヒズム的な憧憬を強く持つからだということになると思うが、これに私は深く共感した。また、自分事として考えると、私は支配するのが面倒に感じるので、どちらかと言うと服従する方を好むのだが、対話を通じて、無意識に自分はあらゆるものに服従しているのだと気づかされ、感動した。この作品で論文を書いてみたいとも思った。

第4回 哲学・思想の〈ものがたり〉(2025年11月28日開催)

第1セッション 荘子『荘子』

Aグループ

・『荘子』については古典の授業にて少し触れたのですが、今日この対話で荘子の考えについてより深く知ることができ、とても良い対話であるなと感じました。テキストに収録された三篇は短文でありながらも私に強い印象を残しました。また外篇の秋水篇を通した対話によって新しい知見を得ることができたと感じます。斉物論篇にて考えているときにふと思ったこととして「私」が蝶の夢を見たのか、蝶が私の夢を見ているのかは、「私」と「蝶」の区別はつくが、どちらが真実かの区別はつかないのだろうかと考え、より面白さを感じました。
・斉物論篇では荘周と蝶の区別について触れ、荘子が万物の本質に差はない、優劣はないという思想が秋水篇にも共通して表れている。また応帝王篇の解釈は難しかったが、自然のカオスである渾沌が感覚を手に入れ、カオスを失ってしまうという考えは面白かったが、自然はけっこう秩序だっているものと自分は考えていたので、渾沌は何を象徴しているかは、まだ考えている。

Bグループ

・議論が活発化してとても楽しかったです。私は個人的に内篇の応帝王篇が一番面白いなと感じて、渾沌が死んだのがちょうど7日目だったことに注目して、7つの穴のうちのどれかが致命傷になったのか、どちらなのかの議論がとても面白かったです。人間の区別は相対的な判断に過ぎず、区別をしている時点で、人間の作為が働いているという意見がその通りだと思いました。今回の対話では、外篇よりも内篇を重点的に議論したのですが、外篇ももう少し深掘りしたかったなと思いました。

・現実と夢の区別はできず、区別している時点でそれは状況によって変化していく相対的なものに過ぎない人間の作為が働いていて、それが取っぱらわれて自然となるという考えにとても納得した。「応帝王篇」で渾沌のアイデンティティが儵と忽によって失われてしまっていて、これが人間の作為によるもので、外面にあらわれるのと一致しているなと思った。最初、天の自然は内面にひそんでいて徳は天の自然の側にあるという文を読んで、性善説なのかと思ったが善と悪からして区別していないのではという考えに驚いた。

第2セッション ドストエフスキー『おかしな人間の夢ー空想的な物語ー』

Aグループ

・ドストエフスキーの、この超大作の読解と対話を通じて、私は無政府主義や虚無主義、暴力主義が活発になる過渡期のロシア社会の、一種の暗さというものを感じた。ドストエフスキーの夢で見た世界に対するあこがれを基礎とする空想的社会主義について思考をこらすと、私は空想的社会主義に共感することはできないが、当時の左翼思考の大流行を感じとることができ、そのような点でこの作品は面白いなと思った。自分は気づかなかったが、おかしな人間が夢で真理を知った11月3日の前日はキリスト教では死者の日であるということ、また、女の子の「ぐしょぐしょのぼろ靴」と「エメラルドに輝く小さな星」とが対比関係にあるということを、リソースパーソンの先生が指摘されたときは感動を覚えた。
・キリスト教的観点から解釈する人が多く、気づかされることが多かった。夢の中で「おれ」は他者を愛し、知覚し合うことの喜びを感じたと思っており、その幕開け、目覚めを示す意味で、心臓に打った弾が左目に傷をつくったのではないかと思った。また、前回やその前に取り扱ったテキストとの関連性にも気付くことができた。「おれ」が無関心なスタンスを徹底していたにも関わらず女の子との出来事が忘れなかった理由は、「おれ」の中での論理を他者への罪の意識が上回ったからであり、夢の中での、「彼ら」が科学などなくても、いかに生くべきかを知っていた、という記述に対応するのだろうと思った。

Bグループ

・この小説は人によって本当に捉え方が違って面白かったです。私は、主人公は自分をおかしいと思っているけれど、夢の中のもともと愛し合っていた人々たちは嘘を覚えたとたんにその世界に慣れたりしているところがあまり純粋な子どもではなく、現実世界でも愛に満ちた世界の実現には不可能と考える中、世界に違和感をおぼえたり、そのような淀んだ世界で生きてきたにもかかわらず、愛を信じたり伝道しようと思ったり、世界に対し何も感じないと言って自殺を試みながらも感情でゆれ動いてしまうこの主人公がいちばん純粋で子どもっぽくて「理性よりも感情でうごく」人間らしさそのものを表していると思いました。ただの小説ではなく、筆者の置かれた環境や宗教、歴史的背景もあってそれを小説と結びつけるのがすごく楽しかったです。
・今までの対話でいちばんおもしろかった。おかしな人間が夢で見たキリスト教的考えを周りが「おかしい」と捉える当時の考えに対する反抗の表れであるという意見で新しい視点を得られた。あえて小説にした意味を考えることはこの文章を理解するにあたってとても重要なことだと思う。また、この文章内に「神」という言葉が一切出ていないが、キリスト教的考えを持っている文章であり、筆者は「宗教は神を信仰することが全てではなく、むしろ宗教の考え方を伝えるために存在すると考えている」と感じた。夢の推進力は頭でなく心であり、「おれ」が自殺するときに頭を撃とうと決めていたのに心臓に変えたことの2つのことから「おれ」が現実を夢として捉えていたのではないかという考えが全く気にしていなかったところなので、とても印象に残った。もっと深めていきたい文章だと思った。

第3回 ヘブライズムとヘレニズム(2025年9月5日開催)

第1セッション 旧約聖書『イザヤ書』

Aグループ

・ある一つの「詩」として読むことで特定の宗教観から離れた解釈を知れた。代理贖罪を請け負う「僕(しもべ)(しもべ)」がどのような理由で定められたのか気になるとともに、キリスト教的な見方では僕をキリストと解釈できると聞きとても面白く感じた。53章12節「それゆえ、わたしは、多くの者たちを彼に分け与え、そして強い者たちを彼は分捕り物としてわかちとるだろう」における「多くの者たち」「強い者たち」の表現が何を指しているのか、という疑問が残った。
・私がアカデメイアに参加したいと思ったきっかけの1つが「旧約聖書を読んでみたい」という興味だったので、すごく有意義な時間でした。最初一読したときは何が何だか分からなかったのですが、註をじっくり読むとイザヤ書のストーリーがだんだん見えてきて、物語性がとても面白かったです。特に53章が面白いと感じました。「ヤハウェは彼に執り成しをさせた」という一文について、ヤハウェはバビロン捕囚で苦しんでいた多くの人たちを解放するため「僕」に罪を負わせたのだということが対話を通して分かっていって「僕」は顔かたちが悪く、蔑まれてきたと表現されていて奥が深いと思いました。

Bグループ

・ユダヤ教とキリスト教の観点から僕が誰かという議論で分かれ、どちらかに仮定したときのその後に続く文の解釈が変わっていったのが個人的にはおもしろかった。「人間を捧げ物とすることがどうなのか」という議論において、命は天からの授かり物で死んだら天に戻るとされていたので、死は一種の喜びだったのではという意見が興味深かった。
・なぜ旧約聖書、ヤハウェは人を過酷な公義によって殺すことを条件にしたのか。そこまでしないと恵みを与えないという考えに至ったのか気になる。そしてそもそも、宗教は求められていたのか。やりきれない苦難にストーリーづけしたい気持ちは非常に共感できるが、どこかイスラエルの民はヤハウェを求めるよりは離れつつあるのではないかと文章から少し感じた。すなわちイザヤ書は、何とか人をヤハウェにつなぎとめようとしている必死さのニュアンスが少しあると思う。新約聖書との対比も調べてみたい。キリスト教が広まったのは違う時代であるから、延長上の話だったとしても、異なる記録がされていそうだ。

第2セッション プラトン『クリトン』

Aグループ

・『ソクラテスの弁明』での必死に人々を説得しようとするソクラテスの態度からうって変わって淡々と死刑を受け入れることをクリトンに説明していることに驚いた。しかし読み進め、対話をする中で、ソクラテスの”よく生きる”という指針が鮮明に理解できた。法というものを大事にするソクラテスにとって、脱獄という行為は、国を混乱させてしまうというのもあるけれど、第一に自らの生き方を否定することであり、それだけはしたくない。そしてその考えを親友であるクリトンにも分かってほしいという切実な思いが伝わってきた。
・『ソクラテスの弁明』を読んだ後の『クリトン』の対話だったため、他のテキストに比べてより深く理解できた。主役であるソクラテスは以前アカデメイアで扱ったデカルトなどと似て、とても論理的な人物であると改めで感じた。僕自身物事を論理的に考えることが好きなのだが、ソクラテスのように自分の命を捨ててまで自分の正義や論理を貫くことができるとは到底思えないので、とても驚かされた。今回の『ソクラテスの弁明』や『クリトン』が登場したソクラテスの問答法や『方法序説』で登場したデカルトの演繹法など、様々な思考方法が増えていくのが楽しい。

Bグループ

・前提として『ソクラテスの弁明』を読んでいることで、より対話に集中できたと感じました。ソクラテスは自身が正しいと思う論理に従う、そういう人間であるというのに対して、自身が死ぬことをそう簡単に受け入れるのかとも考えたのですが、国法の流れから、彼自身も死の恐怖は感じていたものの、自身が脱獄することで周りに害が及ぶと思考し、それが自身の正義ではないと行き着いた結果なのかなと思いました。
・ソクラテスが国法をどのように見ているか(対等なのか国法が絶対的に上の立場なのか)という視点が、国法は上の立場だと解釈していた自分にはなかったものなので、対等だという他の人の意見を聞くのが楽しかったし、その意見に納得した。テキストを読んだ上で、自分の考えをしっかり持てるようになったからか、今回は他の人の意見によって自分になかった視点に気づかされることが増えたように感じた。次回は一人で読んでいるときも複数の視点で読めるようになりたい。

第2回 近代哲学の光彩(2025年6月20日開催)

第1セッション デカルト『方法序説』

Aグループ

・演繹と帰納についての議論がとても興味深かったです。今までデカルトを「私は考える、ゆえに私はある」の人という認識しかしていなかったのですが、「人間の認識に入りうるすべてのことがらは、同じ仕方で互いにつながっている」ため、比例関係にあるものを線で表していくと、あらゆるものを発見し、認識することができるという考え方はとても感銘を受けました。
・演繹によって真理を探求するという方法に感動し、共感した。デカルトの演繹法は結構最強だと思う。昔から「我思う、故に我有り」というフレーズは聞いたことがあったが、それが持つ本来の意味や背景を理解できて良かった。感覚器官が信用ならないということだけで自分が持っている知識の内のほとんどが否定されるということに驚いた。

Bグループ

・デカルトの掲げた4つの方法の規則が真理の証明につながるという内容は現代においても、研究活動に通ずるところがあった。また「一つのことについては真理は一つしかない」というデカルトの主張は、数学には適用されると思うが、社会問題に関していえばそうとも限らないと感じる。イスラーム世界やキリスト教の世界など、世界には多様な文化・価値観があって、それぞれの民の統治方法も異なる部分があるからである。そういった意味では、デカルトの一連の主張は、西欧中心主義の一角を表していると言える。
・デカルトが諸学問に通じる仕組みを考えたとき、それらは互いに因果関係でつながっている。これを物理学など究極的に1つの理論を目指す学問だけでなく、我々が認識できる事柄にも適応できたら、同じものの様々な側面を見ることができそう。

第2セッション ルソー『人間不平等起源論』

  • Aグループ

    ・文章量が多いこともあってか、最初読んだときの理解度はあまり高くなく、自分なりに解釈できるよう読んでみた。その上で、この対話を通して野生人と現代社会が対立構造かのように読めるかと思いきや、自然状態の野生人は、文明は発達していないが平等であるのに対し、現代社会は不平等が推進されており、実はどっこいどっこいだ、といこうとを知って面白かった。
    ・人間の本質にせまる文章であったと思う。「不平等」がもたらす悲劇と、「文明」がもたらす栄光の二面性について、普段触れることはあっても自ら踏み込むことのない領域であったため、いい機会であったと思う。ルソーが提唱する「不平等」の生まれた理由の経緯が少し恐ろしく感じた。

Bグループ

・思考実験として文明状態から自然状態を推測するという発想が面白かった。デカルトの方法序説と違って、現在の社会に至るまでの成り行きについて、極めて具体的に記述されていて読みやすかった。富を表すものとしては貨幣を想像しがちだけれど、それより以前に鉄と小麦の発明及び土地の所有が貧富の差を生んだということにとても納得した。
・「自然状態」の中での仮定に「社会状態」にある人を用いることは正しい仮定になっていないと感じた。「自然状態」はあくまでも推測であり、推測に基づいて論を展開することはデカルトの4つの規則に反する全く別の考え方だった。「社会状態」と「自然状態」は「偶然」を介した関係だという発言が腑に落ちたのですっきりとした解釈だと思った。

第1回 古典との対話へ(2025年5月9日開催)

第1セッション アリストテレス『形而上学』

Aグループ

・対話中は他の人の意見をきいて、驚かされ、また、それに基づいて自分の意見を言えたのが良かった。自分がぼんやりと感じた違和感や意見を他の人に言語化してもらえてはじめてちゃんと認識できるという場面がいくつかあったので、これからも読んでいる中での違和感を大事にしていきたいと思った。
・アリストテレスは全ての動物は感覚を有し、そこから記憶→経験→学問・技術が形成されると考えていると読み取ったが、対話の中で経験は「言語化された経験」と「言語化できない経験」があるのではないかと思った。言語化された経験はそこから学び、技術に発展するが、言語化できない経験は無生物、職人、音を聴く能のない動物にたとえられるようなものが持ち、感覚に相当するようなもので「信頼に値する知識」であるが、その応用はできない。言語化された経験は観照的・理論的でディアゴーグを生み出すことができると考えた。
・本日の対話を通じて「感覚」「記憶」「経験」「技術」の関連性を整理するとともに、「感覚」と「経験」はともに「知識」でありながらどのように違うのかという疑問を見出した。対話の参加者たちが本文から拾ってくる「感覚」の説明や、「感覚」と「経験」の違いを通じて、私は「感覚」から「経験」に至る過程で言語化のプロセスが踏まれており、それができるかどうかが学ぶことすなわち「知恵」を得ることにつながるのではないかと考えた。この対話を通して、さらに「経験」を「技術」にするために具体的に何が必要なのか、など細かく突きつめられると良かった。

Bグループ

・アリストテレスの学問への考え方を理解する中で、分からない語句や解釈があいまいなものに出会った時に、対話を通して自分なりの答えを見つけ出したいと思った。以前から「学問は娯楽のような暇つぶし」から始まったと考えていたため、アリストテレスが自分と同じようなことを考えていたと知って嬉しかった。また、アリストテレスが知への欲求について、感覚→記憶→経験→学問とつながっていると読み取り、なるほどと理解した。
・形而上学の論理構造が、感覚のあとに記憶・経験・技術と体系的になっていることが対話を通してすっきりと頭に入ってきた。経験や技術の定義が本文中ではどうなっているかについて、本文に即して忠実に読むことが自分一人ではできなかったことだと思った。また、フィシスとエトスの話など誤読していたことが多く、家で読むときにもっと注意深く読めなかったのかと悔やまれる。
・どうして「制作的[生産的]な知よりも観照的[理論的]な知の方が、多く知恵がある」と言えるのかが自分で読んでいるとき分からなかったのですが、対話を通じて、生産の先に余裕が生まれ娯楽的な発明に行きつくことがおもしろかったです。

第2セッション オルテガ『大衆の反逆』

Aグループ

・この文章はあらゆる所に「大衆」や「少数者」の定義が散らばっていて、そこをしっかりと読み取るのが難しかった。大衆は、権利は手にしているが義務は負っていないという指摘がとても興味深かった。オルテガの警鐘は現代社会にも通じているのでテキストの続きも読んでみようと思った。
・「小さな集団においての最上の場所」について、自分は政府などの社会的権力の座であると読解したが、それだけではなく、前の時代の群衆のいる場ではなかったホテル・汽車なども含まれているという考えを聞き、納得した。現代において「大衆」であることへの圧力が強くなった結果、少数者と、群衆の位置関係が逆転したことに対する警鐘を読み取った。細かい言葉の違いによりいっそう注目して、理解を更にふかめていきたい。

Bグループ

  • ・大衆の反逆というテーマにおいて、「群衆」や「集団」と「大衆」の差別化を図ることは、文章の本質に気づくために重要なことだと思った。「群衆」と「大衆」の違いとして、群衆を量的であり、大衆を質的であるという本文からの解釈がとても理解しやすかった。対話前は、大衆の反対である「少数者」の定義について深く考えてはいなかったが、自分自身に高度な要求をかせるものであるという部分を指摘され、「少数派」の定義について深く考えることができた。
    ・前提知識がないと理解に苦しむと感じた。オルテガが触れていた大衆が社会的権力の座に登る以前の話や、途中の説明など語句の知識や文のつながりの理解を交えた相当な精読がないと完璧に言っていることを理解するのは困難だと感じた。自分自身が何となく言っていることを理解していることで、逆にいろいろなところに話が飛んでしまった。もう少し精読を重ねたい。