第1回 古典との対話へ(2026年5月8日開催)
第1セッション アリストテレス『形而上学』
Aグループ
今回の対話では、文中の言葉や意味・意図の違いをつかみながら哲学の根っこの部分について考えを深めた。”技術(理論)”と”経験”の違いやその優劣のほか、全動物が持つ感覚から人間はどのように学へと結びつけているのかなど、先生のアシストをいただきながら面白い対話を展開することができた。特に、経験を理論に落とし込み、さらに”暇”を持つことができた上流階級がそれらの諸理論を学へと昇華することができたという流れは納得できるもので非常に興味深かった。また当時と今日の”暇”に対する認識の違いにも注目した。われわれ現代人にとって暇はしばしば疎まれるものだが、当時の人々にとってはそれはすなわち”ゆとり”であったと解釈できる。ここに当時から現代に至るまでの時間の価値観の変遷がうかがえ、さらなる対話の余地があると感じた。
アリストテレスの『形而上学』は「すべての人間は生まれつき知ることを欲する」から始まる。この時点で難しいなと最初読んだ時に思った。読み進めるごとに知識と知恵の違いってなんだろう。本当に経験家よりも技術家の方が多く知恵があると考えているのだろうか、などさまざまな疑問が浮かんできた。一つ一つの言葉に対する感覚をとぎすまし、自分の考えを周りに伝えられたのが非常に良かった。自分が注目していなかった箇所などがたくさんあり、アリストテレスの考えが少し分かった気がする。たった3ページの内容だが、対話しても、対話しても疑問が出てくることに古典的な文章にやはり価値があるなと改めて実感した。
アリストテレスの『形而上学』は「すべての人間は生まれつき知ることを欲する」から始まる。この時点で難しいなと最初読んだ時に思った。読み進めるごとに知識と知恵の違いってなんだろう。本当に経験家よりも技術家の方が多く知恵があると考えているのだろうか、などさまざまな疑問が浮かんできた。一つ一つの言葉に対する感覚をとぎすまし、自分の考えを周りに伝えられたのが非常に良かった。自分が注目していなかった箇所などがたくさんあり、アリストテレスの考えが少し分かった気がする。たった3ページの内容だが、対話しても、対話しても疑問が出てくることに古典的な文章にやはり価値があるなと改めて実感した。
Bグループ
中2の時に書いたエッセイで経験と知恵にかんして、似た内容を自分で書いていたのを思い出して、興奮しました。アリストテレスと似た思考をしたなんて・・・と。技術や理論に関して現代と比較して、興味深く感じました。これまでは知覚から来る経験を技術・理論へと昇華していましたが、自然の世界から知覚的に得られる経験が少なくなった今日、理論が技術に還元されていっているのではないかと思います。
技術(理論)と経験の違いを見極めた後で、この視点を保ちながら、この文章を読んでいくと娯楽屋学問に関する疑問(それ自体どちらに分類されるか)がたくさん生まれてきて、それに対する答えを出そうと対話が積み重ねられているのが面白かった。僕は気がつかなかっただけで知識+経験=知恵という観点がとても面白くて、細かく言葉の使い分けにも気を使いながら読みたい。
技術(理論)と経験の違いを見極めた後で、この視点を保ちながら、この文章を読んでいくと娯楽屋学問に関する疑問(それ自体どちらに分類されるか)がたくさん生まれてきて、それに対する答えを出そうと対話が積み重ねられているのが面白かった。僕は気がつかなかっただけで知識+経験=知恵という観点がとても面白くて、細かく言葉の使い分けにも気を使いながら読みたい。
第2セッション オルテガ『大衆の反逆』
Aグループ
一つ一つを噛み砕いて文章にしているため、少し癖があり、読むのに時間がかかった。文章は20世紀ごろのヨーロッパを中心に書かれているが、現代の日本の暮らしとも通じる部分があり具体的に落とし込みながら考えることができた。事前に自分ひとりで読んだ際は深く読み切れず対話のきっかけはグループ内の発言からもらう形になった。「群衆」と「大衆」など細かい表現の違いまで踏み込んで考えるとより本文の理解が深まることをリソース・パーソンの先生から学んだ。またこの文章は歴史とのつながりが深く、前提知識をあらかじめ頭に入れておいたほうがより深い理解につながると思う。次回以降意識したい。
常に人は成長を学び求め、努力をし続けなければいけないという思想にはしびれた。大衆が政治的な力を持つことは民主主義の目指すべきゴールだと思えるのに、実際には人類にとっての危機であるという主張はとても面白いと思った。一部の知識人、学びを続ける者と考えない人の二元化はSNSの普及とともに深刻化しているとも思った。
常に人は成長を学び求め、努力をし続けなければいけないという思想にはしびれた。大衆が政治的な力を持つことは民主主義の目指すべきゴールだと思えるのに、実際には人類にとっての危機であるという主張はとても面白いと思った。一部の知識人、学びを続ける者と考えない人の二元化はSNSの普及とともに深刻化しているとも思った。

Bグループ
自分はかなり大衆に迎合する考え方をよくするので、大衆だなと感じさせられました。この文章は、最初は少数者に向けての演説だと思いましたが、本当は大衆に向けてこの現状に気付いてほしいというオルテガの気持ちも込められているのではないかなと感じました、でも大衆は大衆であることを好むので、気づいても大衆であることをやめないのかなと感じました。
この対話では、大衆と少数者について話し合ったが、私は自身が大衆であると感じる時と少数者であるときのどちらもがあるように感じた。文化祭実行委員会委員長として活動しているときには、より良い文化祭を目指さなければならないと常々思うし、そうなるように努力しているつもりだが、しばしば、そんな面倒臭いことはしたくないと言われることがある。なぜ必要なことかは説明しているが、その時に文化祭や実行委員会に対する向き合い方が異なると感じ、少数者であると思う。普段教室で一般の学校生活を送るときは基本的に大衆であると思う。先日の生徒総会の時が非常に顕著で全校生徒の一人として投票するわけだが、決算・予算案に反対するような逆張りは高校からは一掃されていて、誰もが賛成する。そこで周囲に合わせて挙手した時に大衆を感じた。この文章は戦間期に出版されたもので、近代に興味があるためとても面白いものだった。
この対話では、大衆と少数者について話し合ったが、私は自身が大衆であると感じる時と少数者であるときのどちらもがあるように感じた。文化祭実行委員会委員長として活動しているときには、より良い文化祭を目指さなければならないと常々思うし、そうなるように努力しているつもりだが、しばしば、そんな面倒臭いことはしたくないと言われることがある。なぜ必要なことかは説明しているが、その時に文化祭や実行委員会に対する向き合い方が異なると感じ、少数者であると思う。普段教室で一般の学校生活を送るときは基本的に大衆であると思う。先日の生徒総会の時が非常に顕著で全校生徒の一人として投票するわけだが、決算・予算案に反対するような逆張りは高校からは一掃されていて、誰もが賛成する。そこで周囲に合わせて挙手した時に大衆を感じた。この文章は戦間期に出版されたもので、近代に興味があるためとても面白いものだった。
